12月14日、第45回ゴー宣道場が開催された。
テーマは「道徳教育は可能なのか?」
終了後、回収されたアンケートから、時浦がピックアップ
した参加者の感想に、わしが簡略に答える。
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◆岡田先生の話はシンプルでわかり易かった。また、議論も
白熱していて、とても楽しかった。いつもと異なり、意見を
言い合うシーンは新鮮な気がしました。
ただ、道徳の定義から、もう一度作ってもよいのかな?
と思いました。
自分としては、今後経済が悪くなった時、「日本の道徳」が
どうなるのか心配。
(東京都・39歳男性・会社員)
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道徳とは何か?
それを話し合うために笹さんも泉美さんも、わざわざ自分の
罪を告白してくれたんだけどね。
道徳伝達の「方法論」の話をしている岡田氏と、
わしや師範方の認識がずれていたね。
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◆「『権威』と『権威者』は異なる」が、自分にとって一番
大きな気づきでした。私には今まで、「権威者」=「権威」
と映っていました。
だから、自分が今まで目にしてきた権威者の姿を見て、
「権威ってこんなものか」と失望していました。
でも権威者に腐らされた「権威」を、どうしたら復活させら
れるのだろうか。
失われた信頼を取り戻すのは、難しいと思う。
(東京都・25歳・院生)
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権威を持つ人のことを権威者と言うのじゃないの?
iPS細胞の権威は山中教授であり、権威者も山中教授である。
自殺した笹井教授はBS細胞研究の権威であったし、
権威者でもあった。
笹井教授をはじめとする理研が権威であったから、
小保方さんのSTAP細胞もわしは信じていた。
権威には本物と「形骸化した権威」がある。
笹井教授は、おのれの科学者としての権威が崩壊すること
を恥として自殺した。
権威者はおのれの権威が形骸化しないように、常に研究を
続け、自己研鑽を絶やしてはならない。
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◆テキスト主義、キャラクター主義のおはなしはとっても
興味深かったです。お前が言うな!!と言われないために
実名をさらさずに議論を繰り広げているのがネットなのか
と思うと、ネットの発言が軽く感じるのはキャラクターが
全く見えないからなのだと気付きました。
小林先生は根がROCKというのはとっても納得。
バックグラウンドがあるからこその言葉のチカラは
絶対にある。故に道徳教育には“人格者“(又はカリスマ)
が必要になるので、定量化するのは難しい気がしました。
(東京都・36歳女性・会社員)
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ソクラテスとプラトンを例に岡田氏が語った、
キャラクター主義とテキスト主義という話は興味深いですね。
ただし道徳教育に人格者なんか必要ない。
親でも学校の先生でも、ふるまいを通して教えられる。
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◆岡田先生の徹底した合理的な分析は、まず、刺激的でした。
確かにそうやって割り切れる点も多々ありそうには
思いますが、少年時代の自分の思いとは違うような。
人の眼を意識して見かけの行動を恥ずかしいとする感覚が
どこから来てるのか? 岡田さんに聞いてみたかったです。
(茨城県・53歳男性・会社員)
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羞恥心や後悔や後ろめたさが道徳に繋がっています。
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◆自分が得するようにふるまうという道徳B。正しいことを
すると損をするケースも多々あると思いますし、
場合によっては不道徳になるのではと思いました。
道徳教育をするというのは、それを行なう側に何らかの
意図があると思いますし、それが洗脳に近いやり方が
行われるのであれば、逆にゆがんだ人間が生まれてしまい
そうな気がします。
(東京都・35歳男性・会社員)
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その通りだと思います。
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◆道徳Bは道徳じゃないですよね。損得が道徳とは
どうしても結びつかない。礼儀と道徳が密接につながって
いるのは解る。
道徳って何?というところが参加者、先生方の中でも
バラつきがあって、論がつながっていない気がした。
道徳というのはその国の心が表に出てくるものだと思う。
(神奈川県・49歳男性・会社員)
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あなたの言う通りだと思います。
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◆高森先生の団塊の世代の礼儀の話については、
かなり共感する部分があった。
最近入院していたところ、この世代についてはあいさつが
できない人達が多くおり、きた看護師に無理難題を言う
モンスター患者も多く存在し、驚愕していた。
(初めは痴呆など脳に何らかの障害があるのかと
思い込んでいた)
正直なところ、道徳教育が昔は上手くいっていたとも
思えない部分はあると思う。
(東京都・39歳女性・会社員)
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幼少期に身につけた道徳も、年を取ると我が強くなって、
崩壊するんですよ。
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◆私の勤務校は、中学でも下から3番目くらいの子たちが
集まっているので正直大変です。学級崩壊の2・3歩手前で
とどまっている感じかもしれません。
その中で礼や道徳を教えることはぬかに釘の状態です。
しかし、就職した卒業生や、教室では落ち着かない子が
バイト先ではしっかり働いていたりします。
その意味では道徳Bが重要で、そこから道徳Aへ移行する
ことを目指す方がうまくいくのかなとも思うこともあります。
それでも私は、小林先生のおっしゃるように、
私のふるまいから、少しでも生徒達が何かを受け取って
くれれば良いなと、日々頑張っていこうと思っています。
(埼玉県・37歳男性・高校教諭)
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岡田氏の言う道徳Bの正体は、損得勘定をベースにした
処世術です。
社会に出れば損得勘定の重要さはわかります。
資本主義の現場はカネが絡むから。
道徳Bは伝達手段ですから、道徳そのものではありません。
あなたが実践している伝達手段こそが正解です!
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◆小学女児の母です。3時間半の議論、岡田先生、学校の
先生の話を伺いましたが、道徳の教科化が必要とは
思えませんでした。
家庭ではなかなかむずかしい、学校で学べることって
いろいろあると思いますが、小林先生がおっしゃっていた
ように、出会った先生、読み書きそろばん、友達との
集団生活、でしょうか。
入学したての頃に礼を学ばせるとおっしゃって
いましたが、礼というより集団生活のルールではないかと
感じたので、そういうことは時間の問題で、自然と習得
するのではないかと。
それと道徳や、学級崩壊はまた別の話ではないかと思いました。
(東京都・40代女性)
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「ゴー宣道場」の恐ろしさは、現場を持つ人々が集うところです。
ネット民は現場を持っているかどうかわからない。
引きこもりのネット中毒者の方が多い。
「ゴー宣道場」には、今回なら子供を育てている親、そして
教師が参加してくれる。
現場を持つ者を誤魔化すことはできないんですね。
わしが「ゴー宣道場」をやっている理由の一つが、
現場を持つ人々から学ぶことにあります。
わしは師範ということになっていますが、
実は参加者から学んでいます。
(つづく)