ファンがいるということは有難いことだし、仕方がないことだ。
『東大一直線』のファンもいるし、『おぼっちゃまくん』の
ファンもいるし、『ゴーマニズム宣言』のファンもいる。
それぞれ個別の作品にファンがいたり、全部読んだという
恐るべき熱心さのファンもいる。
『最終フェイス』とか『厳格に聴け』とか、ヒットしていない
他の漫画にもファンがいることがある。
わしはファンと言うと照れくさいので、読者と言ったりするの
だが、とにかく40年も描き続けると、ミーハーなファンが
出来ることもあるだろう。
それは、ミュージシャンや芸人や俳優のファンと変わりない。
サインが欲しいとか、ツーショットの写真が欲しいとか、
そういう気持ちはよくわかる。
わしだって、手塚治虫や石森章太郎や赤塚不二夫のサインや、
ツーショット写真が撮れたら、嬉しかっただろう。
わしは上記の作家に人生を変えられた。
わしの作品に人生を変えられたという人だっている。
「ゴー宣道場」という名前が厳しそうで敬遠されがちだ。
だが、中には一度、生よしりんを見てみたかったという
気軽な動機で、参加する人は多い。
ミーハーでも構わないのだ。
わしの顔に飽きた者は、笹さんの美人さに見とれたり、
泉美さんの愛嬌に笑みをこぼしたり、そういう動機で来る
者だっている。
高森さんの元気良さを味わおうとか、切通氏のとぼけた
誠実さを見ようとか、そういう楽しみ方だっていい。
機会があればお話だってできるのだから、会いに行ける
アイドル的なミーハー心があったって構わないと思う。
「ゴー宣道場」は「公論の場」という建て前があるから、
ファン心理を炸裂させてはいけないとか、難しく考える
必要はない。
ライジングの愛読者の中にも、自分は信者になってないか
とか、よしりんに対する承認欲求ではないかとか、
生真面目な人は難しく考えたりするようだが、楽しけりゃ
読めばいいし、楽しくなけりゃ去ればいい。
わしが嫌いなのは「ふざける」ことで、「楽しむ」ことは、
大いに奨励したい。
次回「ゴー宣道場」は2月8日、応募〆切は1月28日だ。