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笹幸恵
2014.12.12 16:23

『日本と原発』

 

今日、高森先生が教えてくださった

ドキュメンタリー映画『日本と原発』を

見てきました。

六本木で追加上映されていました。

脱原発裁判を闘う弁護士が

自主製作した映画です。

 

二時間ちょっとが、あっという間でした。

緊迫感のある原発事故のシーン。

原発推進派の言い分を次々と論破していく

弁護士の河合弘之監督。

ホワイトボードに手書きの概念図って、

予備校の先生みたい。

浪江町の町長さんが呻く「悔しい」の一言。

そしてあの世間を騒がせた

新垣隆さんの、低音をきかせた音楽が

映像をより立体的に見せてくれます。

 

河合監督の言う「不可逆性」という言葉に

ハッとさせられました。

他の自動車事故や航空機事故は

検証し、より良いものを作っていくことができる。

しかし原発は、そうはいきません。

ひとたび事故が起これば、

目に見えない放射線に脅かされ、

検証さえできません。

そして失うものは、あまりに大きい。

家族、挨拶を交わしていた隣人とそのコミュニティ、

仕事、そして先祖代々の土地。

日本の心臓部である東京が

避難区域にならなかったのは

まぐれでしかないことを思い知らされます。

言い古されたことかもしれませんが、

地震大国日本に原発が50基以上あることも、

ビジュアルとして地図で見せられると

本当にその異常さにゾッとします。

 

この映画でインタビューに答える人々は皆、

脱原発派です。

自分たちが今まで原発産業に携わってきたけれど、

あの事故をきっかけに「NO」と声をあげた人々。

その良心の叫びの合間に、

安倍首相がオリンピックの招致や国際会議などで

演説したシーンが挿入されています。

 

「フクシマの子供たちはいま、

美しい空の下、サッカーボールを蹴っています」

 

現実とのあまりの乖離に、そしてその台詞の

陳腐さに、会場からは失笑がもれました。

 

河合監督は、最後にこう述べています

(ちょっとうろ覚えですが)。

 

「原発のリスクを見て見ぬふりをするならば、

すべての営みは、砂上の楼閣である」

 

まったく同感です。

 

私は、東電の経営陣を加害者として

追及すれば事足れり、とは思いません。

小林先生のライジング100号に

映画『飛べ!ダコタ』について

書かせていただきましたが、戦争も原発も

同じことが言えるのではないでしょうか。

「国に騙されていた」「東電に騙されていた」、

それで終わってしまってはいけないのです。

気付かなかった、見過ごしていた、

いや、見て見ぬふりをしていた

我が身を省みることから、

本当は始めなければなりません。

「おらっちなんら」の精神です。

つまりはすべてを自分に引きつけて

考えてみるということです。

決して他人事であってはならないと

痛感しました。

 

正直、「ちょっとでも左翼臭がしたら

いやだなあ」と思っていました。

でも映画を見終わって確信しました。

右翼とか左翼とかではありません。

やっぱり原発は、イデオロギーを越えたところで、

議論されなければなりません。

「我々は原発のリスクを引き受けるのかどうか」

それはすなわち、今後この国をどう形作って

いくかです。それが問われるのだと思います。

良い映画を見ることができました。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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