『大東亜論』のコンテに没頭している。
食事中も、風呂に入っても、トイレに入っても、就寝前後も、
登場人物のセリフや、細かいシチュエーションや、説得力ある
展開のことばかり考えている。
今描いてるのは来年1月発売の章だ。
また新たな人物を登場させて、新たな物語の要素を加えていく
ので、今日はそのための資料になる本を一冊読まねばならない。
昨日「軍師官兵衛」を見ていたら、豊臣秀吉が62歳で死んだ。
晩年はよぼよぼで、「天下・公」を忘れ、「私」に拘泥して、
最悪の人物になったが、ドラマの描き方はまだ穏当で、
「鼻塚(耳塚)」のことは出てこなかった。
朝鮮への侵略で、首の代わりに女子供の鼻や耳まで切り取って
持って帰ってきたのだから、日本人が朝鮮人にどれだけ無茶苦茶
なことをしたかわかる。
そのような歴史的経緯の中で、韓国人の「恨」が形成されてきた
のだから、そこは考慮しておかねばならない。
しかし豊臣秀吉が62歳で、あれほど老いていたのは、やはり
昔の人だからなのか?
わしはほぼ同年齢で、また新たな大仕事に次々挑んでいる。
昔のわしに比べれば老いたなと感じるが、豊臣秀吉に比べたら、
わしの方がはるかに若い。
健康面だけが、特に足腰が心配だから、秘書みなぼんはわしに
無理のない散歩のさせ方を考えて、駐車の場所を考えてほしい。
だからといって、雨の日に歩くのは嫌だから、その辺の甘さも
考慮に入れてほしい。