その3。
かつて私が、「新しい歴史教科書をつくる会」の
事務局長を務めていた頃のこと。
実に様々な出来事があった。
中でも、過激派の革労協反主流派に夜中、
事務所を放火された卑劣な事件(平成13年8月7日)は、忘れ難い。
一歩間違えば、何の関係もない地元の住民も巻き込んだ、
大惨事になるところだった。
その頃は、私の自宅周辺も毎日、警察が昼夜を問わず巡回し、
まだ幼かった子供たちの通学路も、
警察に届けて警戒して貰っていた
(本人たちは今もそんなことがあったのを知らないだろうが)。
日常的なマスコミとの対応は、私が殆ど一手に引き受けていた。
ロイターやAP通信など海外からの取材もあったが、
主に文部科学省の記者クラブに所属していた記者たちが相手だ。
結構、頻繁にやり取りしていたので、
今もその時に接触のあった記者たちのことは、おぼろげに覚えている。
NHK、読売新聞、毎日新聞など、それぞれ優秀な記者たちだった。
当初、ひたすら「つくる会」バッシングに走っていたメディアが、
しばらくすると僅かでも軌道修正を見せるようなケースもあり、
彼らとの繋がりを大切にしていたのも、
あながち無駄ではないな感じたことも。
ただ事務局長時代、産経新聞の記者の印象は殆どない
(後に、石川水穂氏の薫陶を受けた、
熱心な秀才のW記者に会ったが)。
そんな中でも、朝日新聞のY記者は最も印象に残る1人。
勿論、朝日はつくる会の「天敵」のような存在で、
あらゆる手段を使って会の活動を妨害し、攻撃を仕掛けて来ていた。
誤解のないように言っておくが、今の凋落した朝日ではない。
メディア界に王者として君臨していた朝日が、
つくる会というささやかなボランティアサークルを、
総力を挙げて潰しにかかっていたのだ。
朝日新聞と共同通信が一番、悪質というのが、
その頃の私の正直な実感。
その朝日の文科省担当チームのキャップがY記者だった。
(つづく)