深田祐介氏が亡くなったのは驚いた。
「新しい歴史教科書をつくる会」が発足する時、呼びかけ人
として名を連ねた同志だった。
阿川佐和子、林真理子両氏は、深田氏が誘って名を連ねることに
なったのだが、記者会見の席には早くも欠席になってしまった。
この事態に深田氏は責任を感じておられたが、
しょうがないことだった。
「つくる会」は、いわゆる「従軍慰安婦」が中学の歴史教科書に
載るほどまでに自虐史観になってしまった風潮と戦うために
発足させたものだ。
だが当時、「慰安婦は強制連行ではない」なんて言おうものなら、
マスコミからは村八分になって、仕事がなくなってしまう。
阿川・林両氏には、あらゆる報道・出版関係者から、
「あんな右翼集団に加わるべきではない」という圧力がかかり、
記者会見は欠席せざるを得なくなったという次第である。
あの頃は、「つくる会」は女性の敵だったのだ。
わしは「レイプ魔の味方」と見られて、悪人扱いだったし、
極左の脅迫もあって、何をされるかわからないという
緊迫した状況だった。
女性が慰安婦問題を語るなんて、絶対に無理だった。
まさか女性が慰安婦に向かって、「売春婦は帰れ」と
ヘイトスピーチをする日が来るなんて、夢にも思わなかった。
今では「人さらいとしての強制連行ではない」という冷静な
議論も飛び越え、女性が慰安婦を、売春婦として差別する
までになっている。
世の風潮が変わってしまったのだ。
言っても安全な時代が来たから、言い過ぎているのである。
「つくる会」の記者会見以降、深田祐介氏とは、六本木の
中華レストランで、二人で食事したことがある。
今現在の反知性主義的な右派連中と違って、深田氏はもっと
リベラルな知性と、紳士的な品の良さを持っておられた。
ご冥福をお祈りします。