明日配信のライジングで、もう一発、ネットでベビーシッターの
幼児殺人事件について書いた。
マスコミに出てこない事実について、ライジングの読者にだけ
なら届けられるだろう。
しかし母親というのは各人の悩みを抱えているもので、それは
全員が別々だから、一人の母親の問題を全員に普遍化する
ことは出来ない。
「私」的な感情に捉われても「公」論は提出できない。
ただ、共同体が必要と考えるか、個に分裂したままでいいか、
という問題があるのだ。
個に分裂したままでいいなら、インターネットで他人と繋がる
のを良しとするしかなく、異常者・犯罪者との出会いから事件
となっても「自己責任」となる。
個人の考え方が社会を作るのだから、このネットシッターの
問題は大事なのだ。
BLOGブログ
前の記事へたまたま読んだ本で出来た偏見
白馬事件とオランダの過剰な復習裁判次の記事へ