産経新聞に「実は多様な靖国参拝対応」という記事が
載っている。
古森義久は親米保守だが、安倍首相の靖国参拝に肯定的な
意見をアメリカで拾い集めているらしい。
そして米国の意見はオバマ政権の「失望」だけの一枚岩
ではないと言いたいのだ。
だがそんなことは当たり前である。
日本国内の意見も一枚岩ではないのだから。
特に知日派のアーミテージが首相の参拝を批判したという
報道には動揺していたらしく、あらためて本人に
問いただしたらしい。
アーミテージは日本の首相は参拝する権利があると思うと
言うのだが、最後にこう付け加える。
「ただし首相の参拝が中国外交を利さないようには注意
すべきだ」
この最後の言葉を古森は無視したいらしいが、
知日派米国人のリップサービスの部分だけを拡大解釈
しても意味はない。
果たして「中国外交を利さない首相の靖国参拝」とは
何なのか?
そこをアーミテージに突っ込んでほしかった。
たった一つあるのである。
中国が主張する「A級戦犯の分祀」だ。
古森はこれに賛成するのだろうか?
ブッシュ前政権の高官だったランディ・シュライバーの
ように、中国の提起する歴史問題は、「日本を自国に服従
させ、米国から離反させ、国内向けの宣伝をも目的とする
政策なのだ。中国の博物館の歴史展示のひどさをみればよい」
という意見には100%同意するが、このような意見が米国の
主流派にならないことには、意味がない。
意見が多様でも、主流派の考え方が重要なのだ。
将来的にも米国の財政赤字による国防費削減への流れと、
アフガン・イラク戦争の失敗によって生まれた厭戦気分が
回復する余地はまだない。
米国が世界の警察官たる役目を果たす日が来るだろうか?
むしろ中国がその役目を米国と二分しようという野心に
燃えている。
それを集団的自衛権の行使を決定しさえすれば、米国が
阻止してくれると一方的に片想いするのも、日本外交の
純粋無垢さを見るようで情けない限りだ。