昭和16年12月8日、なぜ日本は戦争に
突入せねばならなかったのか。
その答えを探る時、まず顧みるべきは
「米英両国に対する宣戦の詔書」、いわゆる宣戦の大詔だろう。
しかし現在、果たしてどれだけの人が、
それを丁寧に読んだことがあるのか。
この詔書には、開戦に至る経過と事情が、
意外なほど詳しく陳べられている。
とりわけ、「洵(まこと)に已むを得ざるものあり。
豈(あに)朕が志ならむや」との一節が、目を惹く。
米英はいまだ非交戦国でありながら、
我が国と交戦中のシナ重慶政権をしきりに支援して、
大陸の戦乱を長期化させた。
その上、日本周辺で着々と軍備を増強。
更に日本の
「平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし」、
我が国の「生存に重大なる脅威を加ふ」。
これに日本が忍耐し、譲歩しても、
「益々経済上軍事上の脅威を増大し」て、
ひたすら「我を屈従せしめむとす」。
これでは東アジアの安定も、日本の存立も到底、望み難い。
かくて
「今や自存自衛の為、ケツ然起つて一切の障ガイを
破砕するの外なきなり」と。
このように描かれた開戦の事情は、
今日明らかになっている史実に照らして、どう評価されるべきか。
そのような手続きを踏むのが、大東亜戦争を考える場合の、
まともな順序ではないか。
ところが宣戦の大詔自体、ほとんど無視または忘却されているのが、
実情だろう。
その結果、日本人自身が自覚のないまま、
ほとんど旧敵国だった米英の視点に立って、
先の大戦を断罪しているように見える。