私が知る国分隆紀兄は、溢れる才能と、真っ直ぐな心根と、
精悍な容姿と、健康な身体と、日本男児としてのたしなみを、
全て一身に兼ね備えていた。
少し出来すぎた話のようだが、事実だ。
私は、人を羨んだことはない。
だが兄にだけは、それに近い感情が動かなかったと言えば、
嘘になるかも知れない。
兄と会い、別れた後は、いつも清涼な一陣の風に吹かれたように、
爽やかだった。
そんな兄が、不遇な酒びたりの日々の末に、
ほとんど窮死のような死を迎えようなどと、
どうして想像出来ただろう。
思うに兄は、自他に対し、あまりにも誠実過ぎたのではないか。
その過剰な迄に研ぎ澄まされた誠実さが、
兄を世俗的な成功や幸福から、遥かに隔たった場所にまで、
運び去ったのではあるまいか。
そのようにでも考えないと、とても納得出来ない。
それにしても、兄の死は早すぎた。
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