よしりん先生の
登場です。
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母がガンで
余命半年を宣告された。
本来なら直ちに帰省して、母の手を取り、
同情してみせるのが常識なのだろう。
親戚関係は次々に母の病室を訪れ、
「よしのりはなぜ帰ってこないのか?」
と文句が出ているらしい。
だが締め切りが
あるから帰れない。
わしが描かなければ、
「SAPIO」の『大東亜論』の
締め切りにも間に合わないし、
『AKB論』の締め切りにも
間に合わない。
毎週火曜配信のブロマガ
『小林よしのりライジング』の
締め切りにも間に合わない。
すでに決定していた対談
その他の仕事も、
キャンセルは出来ない。
どうしようもない。
そもそも80歳過ぎてガンなら、
寿命だと思うしかない。
余命半年なら、
まだ何度か福岡に帰って、
母の顔を見る余裕はある。
わしはそう考えるが、
親戚は今帰ってこなければ
「親不孝」と思っているようだ。
世間は、締め切りがある漫画家の生活が
どんなものなのか、恐らく見当もつかないのだ。
サラリーマンなら
夕方には仕事が終わるとか、
休日があるとか、有給休暇があるとか、
余裕というものがあるのだろう。
だが漫画家はそうはいかない。
朝起きてすぐ描き始め、
夜12時くらいまで、
ずっと描き続けている。
その間、テレビやDVDや音楽は
つけっぱなしだから、
まるで遊んでるように
見えるかもしれないが、
ちゃんとペンは走らせている。
漫画家はそういう仕事なのだ。
父の最期も看取れなかったが、
母の最期も多分、
看取ることは出来ないだろう。
福岡に妹がいて、母の姉妹もいる。
彼女たちに任せるしかない。
仕方がないではないか。
そもそも喘息の原因は依頼心だと決めつけ、
わしを小学生の時にプレハブに放り込んで、
徹底的に個人主義の教育を施してきたのは、
母である。
父からは弱者への眼差しと
公共心を学び、
母からは個人主義と
快楽主義を学んだ。
わしが自ら学んだものは、
仕事に対する情熱と執念である。
これだけは両親にはないものだった。