「秋篠宮摂政」論の正体が、
まだピンと来ていない向きもあるようだ。
ポイントは「摂政」。
摂政とは何か?
歴史上の概念としては
「天皇にかわり万機を統摂する職で…文字通り天皇を代行」する
(森田悌氏『日本古代史研究事典』)。
近代の日本では、大日本帝国憲法の第17条第2項に
「摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ」と規定。
現在の憲法でも、第5条に
「…摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」とある。
憲法上、天皇は
「国事に関する行為のみを行」うことになっている(第4条)。
摂政は、それを丸ごと代行するのだ。
従って、ご健康な成年天皇がいらっしゃる状態で、
摂政を設けるなどということは、100%あり得ないし、
あってはならない。
それは、事実上の皇位の簒奪を意味するからだ。
にも拘らず、次代において即位される皇太子殿下を差し置いて、
秋篠宮殿下を摂政にお立てすべし、
それが「最も現実的な選択肢だ」(八木秀次氏)
と言い張っているのが「秋篠宮摂政」論。
この論では、摂政設置の根拠は皇室典範の規定ではなく、
国民の恣意に委ねられる。
或いは八木氏の場合なら、
彼の“勤務評定”の結果によることになろう。
それがいかに不遜不埒な、不敬極まる言説であるかは、
余りにも自明だろう。
それにしても、八木氏はかつて、天皇は
「人格が優れているといった能力原理で成り立っているのではない。
…完全なる血統原理で成り立っている」と強調していた
(八木氏『本当に女帝を認めてもいいのか』。
但し、「人格」を能力原理と見るのは首を傾げる)。
ところが今や、祭祀に真剣に取り組まれ、ご公務にご熱心で勿論、
皇室の直系のご血統を受け継がれる皇太子殿下でさえ、
妃殿下のご療養を理由に、
事実上の天皇「失格」宣言を平然とぶちあげるに至った。
「完全なる血統原理で成り立っている」はずだった天皇の地位が、
配偶者の健康状態に容易く左右されるとは。
これは変節なのか、それとも以前は心にもないことを言っていたのか。
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