先日のブログで話題にした、ツイッターで僕に、ゴー宣道場なんかで四の五の言ってないでデモの現場に来なさい!・・・・・・・と執拗にからんできた人は、16日に新大久保で、「在特会」との間の暴行事件で逮捕されてしまったようです。
その人が逮捕された経緯については、よくわかってないので言及を控えますが、16日が近づく数日間の間、ツイッターで僕のタイムラインに入ってきた、新大久保に集まったら何かが起こるぞというような、ある種の熱気に浮かされたムードに、僕が違和感を持っていたのは事実です。
そもそも、ヘイトスピーチが行われている場所は、そこで人々が生活している場所です。大騒ぎをして盛り上がるための場所ではないでしょう。
そこに僕なんかまでが誘いに乗って押しかけて「いやースンゴイもの見ちゃった!」とかってたとえばこのブログで報告すれば、それが何かの役に立つのでしょうか?
小林さんのブログで紹介されている、先日の道場参加者のアンケートにおける「現在では、子どもにネットを使うなというのは不可能に近いです。子どもを持てばわかります。それで、どうするか? 素直に見せて、常に親と世の中について、日常について議論をする、ということが必要なんです」という神奈川県の40歳女性(会社員)の方の声の方に、僕はずっと「現場感」を感じてしまいます。
あるいは、「3月まで市福祉事務所で生活保護の仕事をしていました」という埼玉県の40歳男性(地方公務員)の「最近匿名で、何であの人が生活保護を受給できるのかとの苦情が多くなり、電話対応に追われて仕事にならない時が増えて来ています」というのは、まさにリアルな現場の報告です。
どうしても入ってきてしまう情報をどう処理し、公にふさわしい物の見方を育てていけるのか、あるいは自分の仕事の現場でどう対応していけるのか・・・・・・というのが、まさに一人一人の現場なのだということを、アンケートを書かれた方々から今回も教わりました。
「事件は現場で起こっている」。たしかにそうでしょう。しかしその現場は、いま自分達が生きているこの場所そのものなのです。