かつて、故葦津珍彦氏が『文藝春秋』の
昭和天皇奉悼特集号「大いなる昭和」(平成元年3月刊)に寄せた
「悲史の帝」と題した一文の中で、次のように述べておられた。
「新帝(今上陛下)は先帝陛下(昭和天皇)
の御心をよく御理解なさっているように思われる。
一部の者には新帝に不満をもつ者もおるようだが、
それならもし新帝が無限の責任を負うような立場につくのは
嫌だとおおせられたらどうするのか。
新帝は学習院に育ち、自由というものについても、
人生の楽しみがどのようなものかも知っていらっしゃる。
それなのに自分のたった一度の生涯を犠牲にして、
最も不自由な地位である皇位に就いて下さった。
自分は公のために生まれたのだということをお認めいただけたのだ。
それだけでも涙が出るほど有難いことではないか。
爾余は言うに足りぬ事である」と。
この文章は、今上陛下ご即位の殆ど直後に書かれている。
あの時点で、陛下のご即位の背後にあった
「公のため」のご決断と、自由な人生へのご断念について、
ここまで透徹した認識を持ち得た人が幾人いたであろうか。
殆ど全ての日本人は、陛下のご即位を、
恰かも自然現象でもあるかのように受け止めていたのではないか。
少なくとも私自身は、そうだった。
不明と言う他ない。
だが、陛下は平成6年のご訪米前の招待記者の質問への
文書回答の中で、明確に以下の通りおっしゃっている。
「…日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、
また、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると
定められています。
私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を
常に求めていくよう努めています。
したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない
自由は望んでいません」と。
私らは「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という
生涯について、それがいかに苛酷なものであるか、
改めてリアルに想像を廻らす必要がある。
しかもその地位は「世襲」なのだ。
陛下がその「運命を受け入れ」て下さり、天皇として
「皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由」
は全て断念され、
「象徴としての望ましい在り方を常に求めていくよう努めて」
おられるという事実は、
まさに「涙が出るほど有難いことではないか」。
この事実が、陛下のご即位後四半世紀を経た今も、
圧倒的多数の日本人に看過されているのは、実に残念であり、
申し訳ないことだ。
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