ゴー宣DOJO

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切通理作
2012.8.20 01:59

学校という暴力装置

  昨日のゴー宣道場「いじめ問題」編。

  道場でたいてい僕は濃い紺色の背広を着ていくのですが、今回は初めてちょっとラフな服装で臨みました。「こういう問題だからこそ雰囲気を暗くしたくない」と思ったのです。
  すると小林よしのりさんも、高森さんも明るい色調のいでたちで来られ、ひょっとしたら同じような意識で臨まれているのかなと思いました。

  高森さんなど、来月の道場でグッズとして発売される予定の、小林さん直筆イラスト入り「脱原発Tシャツ」の見本に着替え直して登壇。入場してきた途端、会場の皆さんは笑顔にほころびました。

  道場が始まり、会場でまず最初に発言した人が、自分はいじめの被害を受けていたが、それをはねのけるには、相手を殺すのも辞さないぐらいの反撃の覚悟がならなければならない・・・・という内容の発言をしました。

  学校で生き残るためにはそこまでしなければならないのだろうか、と一挙に空気が重くなりました。やはりどうやっても、この話題には閉塞感が付きものなのでしょうか。

  しかし、自殺するぐらいなら学校に行かなくてもいい!学校は決して社会の縮図ではない・・・・・・という小林よしのりさんの発言には視界が広がりました。

  学校で通用しない者は社会でも通用しない・・・・・という「正論」は疑ってかかる必要がある。なぜなら一般社会には法律があるが、学校の教室は囲い込まれた、集団リンチすら許される「聖域」になってしまっているから。

  道場終了後の動画「語らいタイム」では、メンバーの流動性がない教室で、生徒みんなが教壇に向かって話を聴くという教育・・・・・・つまり明治以降の近代のあり方自体が正しかったのかを問い直す必要があるのでは、という話にまで進みました。

  近代の否定ではなく「問い直し」。それなくして、生徒一人一人に目が届くスーパーヒーローのような教師を待望しても、実際には無理なのではないか。

 そして問題を解決できないいらだちが、個人をターゲットにすることで発散される・・・・・。
 

  大津市の教育長がハンマーで襲われ負傷した事件で、「(いじめがじゃれ合いなら)襲撃もじゃれ合いだろう」と犯人である埼玉の大学生を支持する声がインターネットのSRS「
mixi」で日記を書いている者の中に大量にいることを、SF作家の山本弘氏がブログで取り上げています。

 http://hirorin.otaden.jp/e247570.html

 
  「さすがに1500件以上の日記のすべてに目を通せなかったけど、ざっと見て半数ぐらいが、事件を冗談のネタにしたり、犯人の行動を擁護したり、称賛したり、あるいは殺害に至らなかったことを惜しんでいるものだった」と山本氏は言います。

  

 「やっと英雄が出たか。少年はやり方はともかく勇気ある行動。一昔前なら英雄になって歴史に名を刻んだかもしれん」「私が裁判官なら、少年を無罪にし馬鹿教育長を死刑に処す」「彼の汚れなき心と志しは、立派であり国の宝である」「彼の行為を咎められてはならない、これは絶対にならない」「暴力ではものごとは解決しない?それは綺麗事だな、暴力でしか解決しないことすらある」

 

 いじめ加害者の実名晒しなど「公開処刑」的なものに対する支持の段階ではなく、今回は直接の暴力行為、殺人未遂までもが支持されています。山本氏の言うように、殺すところまでいかなかったことを悔やむ声もあります。

 

 小林さんが言うように学校が「暴力装置」なのだとしたら、根本がそこである限り、いじめ問題の解決を求めることそのものが暴力の連鎖を生み、誰かが死ぬことを望むのは、ある意味必然なのかもしれません。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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