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高森明勅
2012.7.23 15:09

死ぬのを怖いと思ったことはない

7月22日、靖国神社崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」
の第12回勉強会。

実際の体験者から、戦争体験を伺うのが主眼だ。

いつも貴重な体験談を聞くことが出来る。

今回は3人の戦場体験者の方々が、講師としてご参加下さった。

元大湊海軍警備隊参謀付で、サイパン片道特攻作戦に志願された
S氏(90歳)、
第31海軍航空隊に入隊され、
南方各地を転戦されたT氏(86歳)、
陸軍の第36師団歩兵224連隊に所属され、
ニューギニアで何度も死線をくぐられたN氏(91歳)だ。

皆さん矍鑠として、姿勢がよく、
言語明瞭で、記憶もしっかりしておられ、
話しぶりが実にお若い。

いつも思うが、その辺で見かける60代、70代の方が、
よっぽど年寄りくさく見えたりする。

S氏は、多くの戦友が亡くなった体験を語られ、
「命は一つ、人生は1回。
替えが利かない。
だから、くれぐれも命を大切にして欲しい」と繰り返し、
強調された。

「なのに、この平和な日本で毎年、
3万人以上の人が自殺で亡くなっているのは、残念でならない」と。

T氏は、
「我々年寄りが、若い人たちに、あれをしろ、
これをしろと言うつもりはない。
自分が実際に体験した事実をお伝えするので、
どうすべきかは、皆さんが考えて欲しい。
ただ、嘘が出回っているのは、許せない」と熱を込めて語られた。

N氏は、敵の自動小銃で肩と腕を撃ち抜かれた。
にも拘らず、傷による高熱と激痛を押して、
何度も転倒しながら、夜間、敵陣を偵察。

日本軍の夜襲成功を導き、師団長から「賞詞」を受けられた。

その時、傷口にはヒルや蝿、虻などが一杯たかり、
転倒するたびに蝿、虻が飛び去ったという。

ただ、銃弾が貫通し、骨にも当たっていなかったので、
回復が見込めたとのこと。

だが、肩と腕の傷も癒えかけた翌月、今度は、頭上で迫撃弾が炸裂。

破片が左足を直撃した。

これによって、大腿部からの切断を余儀なくされた。

しかし、会場で若者の質問に答える際、必ず立ってお答えになる。

進行役の私が
「ご無理をなさらずに、座ったままお答え頂けば結構です」
と申し上げても、
「いや、座ったままだと、声に力が入りませんから」
と最後まで、立ち続けられた。

しかも、背筋をピンと伸ばし、
床をしっかり踏みしめるお姿は、
どう見ても91歳とは思えないし、
義足であることも、事前に知らなければ、誰も気付かないだろう。

上品な白髪で、穏やかな表情。

至って静かな物腰。

戦場で何度も死ぬ目に遭って来られたとは、到底、思えない。

迫撃弾の破片を身に浴びた時は、一度、心臓も止まったらしい。

だが、埋められる前に蘇生したので、今ここにいます、
とおっしゃっていた。

氏は、何ら気負った風もなく、淡々と
「戦場に出れば死ぬものと覚悟していたので、
戦場で死ぬのを怖いと思ったことは、一度もありません」
と言い切られた。

普通、あらかじめ死を覚悟していたつもりでも、
実際に自動小銃で体を撃ち抜かれたり、
迫撃弾で足を砕かれ、
心臓も本当に止まったような体験をすれば、
死を恐れるようになっても、当然ではあるまいか。

この日の戦場体験者の方々の発言の中でも、
私の胸に取り分け鮮やかな印象を残した一言だ。 
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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