よしりん先生が
来てくれました
「第25回 ゴー宣道場」
のテーマは
『公民と国民、何が違うか?
ー権力批判のすすめー 』
です。
今日は、副題の
「権力批判のすすめ」
をなぜ付けたかを
説明します。
国家権力に反対と
唱えるのは
左翼の呪文です。
しかし我々が
国民である限り、
国家権力に従わねば
ならないことは
いくらでもあります。
地域独占で、
原発でぼろ儲けしてきた
電力会社が
起こした事故なのに、
賠償金が巨大すぎて
払えないとなると、
国家権力が
我々国民の税金を
投入することになります。
いや、賠償金が
巨大にならないように、
年間被ばく量を
1ミリシーベルト から
20ミリシーベルト に
引き上げて、
何食わぬ顔で
福島の市民を、
原発作業員と同レベルの
被爆リスクにさらすのが
国家権力です。
政府と官僚が
この場合の
権力の行使者ですね。
放射能汚染地域には、
すでに御用学者が
入り込んで、
「放射能は恐くない。
むしろ低放射線は体にいい」
と教育している
状態のようです。
住まなければならない人は、
放射能安全デマに
すがるしかないから、
洗脳を受け入れて
しまいます。
そして
放射能の危険を
口にする住民は
「煽り派」 と疎まれる
同調圧力がかかり、
黙らざるを得ない。
そういう状況のようです。
原発の安全性は
まったく担保されることなく、
政府は大飯原発の
再稼働に向けて
動き出しています。
思った通りの展開です。
反対だと断固阻止すべく
体を張ったら、
警察に排除されるでしょう。
さてこの場合、
国民なのだから
国家権力に従うしかないと
泣き寝入りするしか
ないのでしょうか?
「国家権力に断固反対」
と言ったら、
左翼でしょうか?
賛成する国民と、
反対する国民、
どっちが
「国のため」「公のため」
を考えている
民なのでしょうか?
産経新聞、正論、WiLLなど
保守とされる勢力は、
原発推進派であり、
閾値アリの
低放射線安全派です。
それどころか
渡部昇一、日下公人、
西部邁などの知識人は
「低放射線は体にいい」
とする
ホルミシス派です。
これは本当に
「公のため」
の論でしょうか?
「国のため」 の論と、
「国家権力のため」 の論と、
「公のため」 の論は、
違っているのでは
ないでしょうか?
あまり社会問題に
関心がないのですが、
こんなことを言いました。
「テレビを見てたら、
アルピニストの野口さんって
原発賛成みたいだけど、
富士山のゴミを
片付けようと言ってたのに、
核のゴミは出しっぱなしで
いいのかしら?」
鋭いなあ
庶民の方が素朴な疑問に
気づくものですね。
「富士山のゴミはダメで、
核のゴミはOK」
これには
原発推進派の
大いなる欺瞞が
さらけ出されていますね。
「権力」 に付くか?
これが
「権力批判のすすめ」
と副題を付けた理由です。
このような
思想的な検討を、
いわゆる保守も左翼も
やらないんですね。
次回道場は
「公」 の概念がいつ出来て、
「国」 の概念がいつ出来て、
「民主主義」 は
「公論」 に繋がるのか?
・・・等々の重要な議論を、
参加者全員で
やってみたいと思います。
6月10日 の「ゴー宣道場」は
いつもの労務会館の
予約が取れなかったので、
会場が変わることを
お知らせしておきます。
これは注意してください。
6月はゲストに
「ゴー宣道場」初参加の
政治家が来てくれる
予定です。