事態を分かりやすくするために、こんなケースを想像して欲しい。
ある人物が、特定のテーマについて、多くの人に取材をしたと、自ら報告したとする。
但し、いつ、誰に、どのような質問をし、相手からどのような回答を得たかは一切、明らかに出来ない、と言う。
ただ「一連の対話のなかで私が思ったことを述べることにしたい」と。
ご本人が何を「思った」としても、勿論それは自由だ。
しかし、普通、このようなレポートが、責任ある月刊誌に掲載されることは、まず無いはずだ。
『正論』4月号に掲載された竹田恒泰氏の文章は、実際にそのようなものだった。
しかも、その文章で紹介されている旧宮家系国民男子とおぼしき人々の考え方は、
これまで他のメディアで、個人名を明らかにした上で公表されて来たものと、かなり齟齬があった。
例えば、竹田氏の文章では「旧皇族(竹田氏の特殊な拡張的な用法による)の皇籍復帰(これも同様)が求められる事態に至った場合は、
一族としてその要望に応える覚悟を決めておかなくてはいけないと考える人が大半を占めている」ことになっている。
しかし、時をさほど隔てていない『週刊新潮』昨年12月15日号が、旧宮家系国民男子で皇籍取得の対象になりそうな人々を、
集中的に取材した時の答え方は、かなり違う。
賀陽正憲氏「立場が違いすぎ、恐れ多いことです」。
東久邇征彦氏「仮にそのようなご要請があっても、それは現実的には難しいかなと。
そんなお話になってもお断りさせていただくと思います」。
壬生家の養子に入った基博氏の長男は「当惑しきりの表情で、何も答えてもらえなかった」等。
竹田氏は「いまや旧皇族が男系維持で一枚岩」などと書いているが、上記の反応との食い違いが目につく。
また、仮にそうだったとしても、だからと言って、自ら皇室に入る明確な意志を持っている人は実際にいるのかどうか。
何やら怪しげな印象ばかりが強かった。
だから、「旧皇族」概念の異常かつ不敬な拡大を除き、特にコメントするには及ぶまいと、考えていた。
ところが驚いたことに、『産経新聞』2月29日付朝刊一面に、竹田氏の文章をほぼそのまま紹介した記事が、掲載された。
私が深く首を傾げたのは、裏付けを取るために独自の取材が行われた形跡が、全くなかったことだ。
特に、既に述べたように、これ迄に発表されている旧宮家系国民男子の反応との違いが明らかである以上、
そのあたりの実情について、必要最小限の取材だけでも行った上で記事にするのが、
報道に携わる者の当然の義務だろう。
それを怠った結果、竹田氏の書いたことは、崇高な使命感に燃える同氏が「思ったこと」以上の何ものか
(つまり、何らかの実態を伴う)なのか否か結局、不明のままだ。
これは、竹田氏の名誉にとっても、産経自体の信頼にとっても、実に残念なことだった。
産経は、とっくに取材対象の氏名も判明し、しかも国家と国民にとって極めて重大なテーマであるのに、
新聞のその日の「顔」であり「看板」であるはずの一面の記事を書くにあたって何故、
報道のイロハのイと言うべき当たり前の手続きを怠ったのか?
それが疑問でならない。