「切通さんの口から、<国体>という言葉が出るなんて!」
昨年最後のゴー宣道場が終わった後、いつも道場当日の会場設営でお世話になっている門弟の人たちとの、慰労を兼ねた食事会が行われ、僕も師範の一人としてご一緒させて頂きました。
いま「師範の一人として」と書きましたが、僕はゴー宣道場の創設から居るわけではなく、「公論」の意味すら、だんだんわかりかけてきたという始末。
食事会で言葉を交わすことの出来たある方が、こんなことをおっしゃっていました。
「切通さんは私達と、創設師範の皆さんとの間をつなぐ存在だと思っていました」と。
その方は、第18回道場『国防論を語ろう!』(「前夜」創刊号に抜粋が掲載/飛鳥新社より「ゴー宣道場選書・原発はヤバイ、核兵器は安全」として刊行予定)の時、僕が自分の発言の中で「国体」という言葉を使ったことに、新鮮な驚きがあったというのです。
「切通さんの口から、<国体>という言葉が出るなんて!」とは、その時言われた言葉です。
その方にとっては、僕の発言に現われるゴー宣道場に対する理解が、ご自身の理解とシンクロして感じられてきたのだ……ということでした。
その方はやや謙遜してそう言ったのかもしれません。あるいは他の門弟の方におかれましては、もっと意識の進んでいる方もいっぱいいらっしゃると思います。
恥ずかしながら、『国防論』を読んだ時、僕は初めて「公論」という言葉の真の意味を知りました。
公論とは、単に「私」に対して「公」を意識するということだけでなく、「国体」を基準線として考えることである――それが、これまでの道場での積み重ねと相まって、腑に落ちるに至ったのです。
これまで私は、ミリタリズムとは力を頼みにする野蛮な前近代的考えであり、また国家のために命を捨てるという考えは民主主義からすれば転倒しているという風に思っていました。権力は常に世の中をそのような復古的な方向にもっていこうとしており、我々民衆はそれに少しでも抵抗して「自由」を確保しなければいけないと思っていました。
そんな自分が、小林さんの『国防論』を読んで、国が軍隊を持つことこそが近代化なのだと知り、まさに目から鱗が落ちました。
中学時代、僕は左翼教師から、明治になってから戸籍の届出が義務付けられるようになったのは、徴兵するためだと聞いたことがあります。
それは、近代そのものが国軍の成立と一体になっていたからだったのだなと、いまの僕は気づきました。
近代国家は軍隊という形で「暴力」を独占する人間共同体そのものであり、だからこそ人々は無政府状態を免れる。国家がなくなってしまえば、人々はお互いに無秩序な中でむき出しの暴力にさらされるしかない。また無秩序状態では他国から簡単に侵略されてしまう。
つまり「国家」なきところに秩序なく、秩序なきところに「平和」はあり得ない。
そして国家とは、領土では必ずしもなく、「歴史的な連続性」であり、その具現化した存在が天皇陛下。「私」がいっさいない、ただ国民のために祈る天皇という存在を守るのが日本の軍隊であり、それが国体を守るということである。
――そこまで理解できた時、やはり中学時代の左翼的な教師が「警察も軍隊も国民を守るためにあるんじゃなくて、天皇を守るためにあるんだ。」と言っていたことが脳裏に蘇えりました。
「なあんだ、それでいいんじゃん!」
チベットの人々にとってのダライ・ラマのように、たとえ国土を追われても、どこかに天皇陛下が御存命でおられるというだけで、日本人は最後の希望を失わないだろうという『国防論』の記述には、なるほどと思いました。
そして、多くの兵士の人々が「天皇陛下万歳!」と言って死んでいったのは、決してファナティックだったわけではなく、親や家族を含めた、人々の平和と自由のためだったのだと思えたのです。
それは僕にとって<平和と自由>を考える上での、コペルニクス的転回と言っていい経験でした。
近代を支えた人たち、作ってきた人たちの内面世界が、初めて共有できた気がしたのです。
まさに堀辺師範のいう「タイムスリップ」です。
我々はタイムマシンを持っていません。けれど、ひとつ視座が開かれれば、カビが生えていると思っていた歴史の諸断面が鮮やかにめくり返らされていく。
そんな体験を、ゴー宣道場の一回一回で僕はしています。
皆さんも、そんなスリリングな体験を、ご一緒しませんか!?