再び、
よしりん先生の
登場です
『前夜』(幻冬舎) 創刊号にあたっての本音
わしは現状の言論界には辟易している。
日本が崩壊していく過程に危機感を持っている者が
果たしてどれだけいるのか?
わしが『戦争論』を描き、
「新しい歴史教科書をつくる会」の運動を展開して以降、
「保守」という言論や精神性があって、
それは日本の良き価値を「守る」ものかと思っていたが、
全然そうではなかった。
今現在の「皇統問題」「TPP」「原発」という
具体的な危機に際しても、
保守言論界は完全に意見が割れている。
てんでバラバラなのだ。
もっとも酷いのは「男系絶対固執」「TPP参加」「原発推進」という、
あまりにも硬直した従米・反中、弱肉強食のマッチョ言論人が
「保守」を自称している状況だ。
「女系公認・直系優先」「TPP断固反対」「脱原発」の
わしの考えとは真反対である。
「何を保守すべきか?」の価値観がまったく違うのだろう。
「オレこそが保守だ」と言い合っていても無意味だ。
外国人の保守思想家を持ってきて、「保守」の定義を
あれこれやってみたところで無駄無意味
なぜなら極限状況で、反射神経で発言したことが、
数年後、数十年後になって、その正誤が明瞭になるはずだからだ。
知識は情報のレベルに留まると、知ったかぶりに堕すだけで、
反射神経で生き抜かなければならない局面では役に立たない。
日本の厳しい局面での選択に失敗してるくせに、
言ったら言いっぱなしの自称保守があまりに多すぎる。
例えば、先日の「ゴー宣道場」で、高森明勅氏は、
イラク戦争に賛成した自分の態度は間違っていたと、
明確に述べてくれた。
これはすごいことである
今の保守言論人の中で、誰がこのような総括をした?
わしは初めて聞いた
イラク戦争でも、従米保守の言論人は、言ったら、言いっぱなし
小泉構造改革でも、格差拡大、株主資本主義、
金融グローバリズムの結果が出ているのに、総括はしない。
言ったら、言いっぱなし
真摯な総括をしないから、またTPP論議でも、
保守論壇は価値相対主義に陥って、
さらに格差「超」拡大の方向へ突入していくのではないか
わしにとってはデジャビュだらけだ
自称保守言論人よりも、左翼やリベラルの言論人の方が、
まだ可能性があるのではないかと、わしは考えている。
もう学ぶところがない自称保守よりも、
学ぶところがあるのではないかと思っている。
だからわしは『前夜』で、
若手のリベラルな言論人にも書いてもらった。
共産党の政治家でも、わしは出す。
「保守」における、価値相対主義、
いや価値紊乱の状態が、
「国民・国柄・国体を守る」ために有効だとは
もう全然思えない。
そしてこれは大事なポイントなのだが、
言論というものが、実際に現実を動かすためには、
全く無力であることも、覚悟しなければならない。
『ゴーマニズム宣言』の読者にも、「ゴー宣道場」の参加者にも、
理想や理念が実現されると、宗教のように盲信させようとは、
わしは思わない。
言論や思想の無力さを織り込み済みで、
それでも何もしないで騙されっぱなしになるよりはいいという情熱が、
生きる上の快楽になるから、わしは発言し続けているだけなのだ。
そう、わしは快楽を忘れて
眦(まなじり)を決するだけの
言論はくだらないと思う。
『前夜』でわしが『女について』を描いたことや、
女性エッセイ漫画家に巻頭の座談ページを割いたことや、
女優やヌード写真を載せたことについて、
「軟弱」とか、「ポピュリズムへのすり寄り」とか、
思う者がいるかもしれない。
小林よしのりが何をしたいのか、わからないと思う者もいるだろう。
しかし、わしは明確にやるべき方向へ進む意思がある。
万葉集の「益荒男ぶり」だけが日本人の価値ではない。
古今集以降の「手弱女ぶり」の精神性もあるはずである。
今の「保守」の言説の中には、
その「手弱女ぶり」が完全欠如している。
櫻井よしこまでが「益荒男ぶり」一色で、あんな女を
保守オヤジが持ち上げている構図が気色悪い。
フェミニズムの闘志とどこが違うのだ?
男にも女にも、
「益荒男ぶり」と「手弱女ぶり」が
必要だとわしは思うが、
男は男を捨ててはならず、
女は女を捨ててはならないと
わしは強く言いたい。
『わしズム』では、「益荒男ぶり」を強調しすぎて、
人々からは右翼な雑誌と偏見を持たれてしまった。
『前夜』では、「手弱女ぶり」とのバランスを取ろうと思う。
創刊号はその「手弱女ぶり」を巻頭から
ぐいぐい強調したために、
わしが安易にストリップしたかのように
誤解している読者もいるだろう。
だが『女について』も、『10万年の神様』も、
女性作家の登用も、何号か続いていけば、
必ずわしの意図が伝わるようになるはずだ。
顰蹙を買うのは仕方がない。
わしの方が感性が鋭く、洞察も図抜けているのだから
AKB48は秋葉原の劇場で始めたときは
観客席に7人しかいなかったという。
それが今ではCDを出すたびにミリオンセラーだ。
イラク戦争でも間違っていた保守論壇。
小泉構造改革でも間違っていた保守論壇。
皇統問題でも間違っていたことが、もう間もなくわかるだろう。
わしを信じる必要はない。必ず結果は出る。
そのとき自分が何を言ったか、
自称保守たちは反省するだろうか?
総括するだろうか?
どうせ発言に責任を持つ者などいないのだから、
数年後には忘れて、
そしてわしが正しかったと判明しても、
誰もそれを評価などしない。
今現在まともに読んでもいないのだから。
AKBと違うのは、わしが正しかったとしても、
誰もわしのところへは戻ってこないと言うことだ。
わしから離れてその後、忘れてしまうだけなのだから。
だからわしは快楽主義を手放さない。
言論オタクを信じていないからだ。
眦を決してではなく、快楽を手放さずに、
『前夜』を編集し、描かねばならない。
『前夜』2号の特集は、もっと女性が主役になる。
わしは楽しみだ。