ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.10.29 04:59

姜尚中を批判する

小林よしのりさんの対談集『新日本人に訊け』にご登場された、韓国系日本人である鄭大均氏の新著『姜尚中を批判する』(飛鳥新社)を読みました。

『新日本人~』の中でも話題に出ていた姜尚中批判、「もっといっぱい読みたいな」と思っていたので、待望の一冊です。

一ページめくるごとに、目から鱗の落ちる思いでした。

 

堀辺正史師範が以前おっしゃっていた「真正面からではなくムードで世の中を変える策略には警戒しなければならない」という言葉を、読んでいて思い出しました。

 

たとえば在日朝鮮人が強制連行されてきた存在であるーなどという認識は、いまでは「実際起こったことではない」という異論が出され、それには有効な反証がなされないでいるのですが、姜尚中があの甘いマスクとソフトな声で、在日の被害者性を漂わす口当たりのよく物悲しい「ムード」を被せることによって、間接的にその下に真実として「よほどひどい日本人の蛮行があった」と思わせてしまう。

 

そのやり口を具体的に検証する鄭大均氏の仕事は丁寧です。

 

<姜尚中>的メディア戦略は、ムードを介した間接的なものなために、注意深くしないといつのまにかするっと脳に入り込んでしまう。論議にさらされ、そこで洗われるということを媒介しない。

 

北朝鮮の脅威に対するリアリズムをやわらげ、外国人参政権に対しても抵抗がなくなり、なんでもなしくずし的に流入してくることをよしとしてしまう。

 

そこを一つ一つ立ち止まって検証する鄭大均氏の労力と誠実さには、文筆を職業とする者として頭が下がります。

 

こうした「ムード」戦略は、世の中のいたるところにある気がします。たとえば昨今の日本の戦争映画にみられる、リアリズムを軽視し、厭戦感だけを悲しいムードの中にまぶしていけば一丁上がり、というような作り方にも。

 

このような<姜尚中的ムード戦略>には、抗うのが非常に難しい。ソフトなだけに、逆らう人間が偏屈者に見えてしまう。一部の(と思いたいですが……)女性陣から、ヨン様ならぬ「カン様」の悪口を言うなんて!と叱られてしまいそうです。

 

世の中には、言っていることに賛同する/しないではなく、「人が言い争ってる」という状態自体がもうNGという人も多いですよね。

そういう「論争好き」以外の人に<姜尚中的ムード戦略>は非常に効果的なのだと思います。

 

鄭大均氏の指摘で、日本のネトウヨは、韓国や中国の排外的ナショナリズムの影響を受けて、条件反射的に生まれた「にわかナショナリストだ」という言葉に「なるほどと思いました。

 

その一方で、姜尚中の言っていることをするりと呑みこんでしまうような「自分をナショナリズムとはまったく無縁なものと考えている頓馬」によって構成されているのが日本の若者だと断言しています。

 

「ナショナリズムをタブーとするこの国が生み出したのが『にわかナショナリスト』か、さもなくば国家に丸抱えされながらも、そのことにまったく無頓着な頓馬だけとは、まことに寒心に堪えない」(鄭大均『姜尚中を批判する』より)。

 

これは痛烈な日本人批判ですよ!

 

排外主義的お祭り騒ぎでもなく、薄甘い無頓着層にもならない、ナショナリズムを語る言葉を「再獲得」するということは、帰化日本人ばかりでなく、生まれた時から日本国民であり、いまもそうである人間にとっても、重要なテーマである。そう考えさせられまました。

 

まさしくゴー宣道場もそれを自覚する場であると私は思っていますし、しかしこの日本で例外的な場にしてはならない!……と思いを新たにしました。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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