ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.10.13 16:03

フジのデモも脱原発デモも両方スカ

小林よしのりさんがちょっと前に

こちらのブログで

フジテレビへの反「韓流」デモも

脱原発デモも

両方スカ(カスでしたっけ?)

と書いてるのを見て

「そこまで言うか」

と思ったけど

「そうだよなあ」

とも思いました。

 

いや、そもそも

大江健三郎なんかが言う

「デモこそが庶民の

意思表示……」

みたいなのって、

違和感がありませんか。

 

デモって、どうしても

スローガンが

単純でおおざっぱになりやすい

と思うんです。

 

脱原発にしたって、

段階的廃止論なのか、

即時停止なのか、

 

ともすれば「原発推進デモ」

と「脱原発デモ」に来ている人が

段階的廃止論という意味では

変わらなかったりする。

 

脱原発=反核なのか、

『国防論』の主張のように

核兵器ありきの脱原発なのか

……という問題もありますよね。

 

大江健三郎はもともと

原発に賛成だったし

左翼的文化人も

進歩主義ゆえ核兵器を持つことを

厭わなかった過去なんかに

誰も関心を払わない脱原発デモ。

 

単なるお祭り騒ぎで

細かい主張の差異はこの際置いておく……

というのが

デモという気がしませんか?

 

その先の細かい論議になると

意見の一致が見れなくなるから

スローガンはおおざっぱで

あればあるほどいい。

 

それだけなら

まだ罪はないですが

デモって、

なんだか排外主義的な

ものの象徴な

気がするんです。

 

反「韓流」デモする人の、

アメリカ人に対しては

何も言わない(映画界に目を転じればいまだにハリウッド全盛なのに!)で

韓国人への排外主義だけをむき出しにする態度は

言うに及ばず、

 

昔80年代に開かれた大規模な反核集会に行った時

(僕は尾藤イサオのライブがあるというので

行っただけなのですが)

そこで「ノーモア・ヒバクシャ」

というスローガンを聞いて

被爆二世の私は

猛烈な違和感を持ったことを思い出します。

 

「被爆者はどっかに消えろっつうのか」と。

 

ツイッターで脱原発のつぶやき

する人の、福島に対する

排外主義ともいうべき反応を目にすると

その時のことを思い出します。

 

被災地のガレキを受け入れたくないとか、

福島の花火は上げてほしくないという抗議が来たとか、

あの人たちは避難が遅れたからもう手遅れだとか、

 

僕は親から原爆の被害の痛ましさを聞かされて

育ったので

正直『国防論』の核武装論に

抵抗感もあるのですが、

それ以上に

そうした排外主義に

「痛みを分かち合えよ!」

と思ってしまう。

 

「大人はしかたがない。でもこれからの

子どもたちに放射能を

浴びせたくない」

これって、すごい<正論>ですけど、

平時のバランス感覚においての

「ケガレ排除思想」

に通じている気もするのです。

 

「いっそ核兵器持って

みんなで分かち合おうよ!」

と思ってしまいます。

 

そんなことも、

今度の道場では、

自分なりに話をしてみたいと思っています。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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