この間の道場『新日本人に訊け!』が終わった後、帰りのタクシーに私も便乗させて頂いたとき、「道場でも、語らいタイムでも言おうとして飛んでしまいましたけど、あの話はすべきだったかもしれません」と私が言ったら、「そうですね。その話は私もしたかった」と堀辺先生もおっしゃられたことがあります。
それは呉善花さんの著書にあった日本人の<労働観>のことです。
韓国には労働が美徳だという考え方がない。むしろ高貴でない者がすることだと蔑まれる。
呉さんによれば、日本人一人一人に会うと「仕事辛いよ。遊んで暮らしたい」と口では言いますが、そういう風には見えないと。
どうも日本人は、働いて、何かの役に立っていることそれ自体に喜びを感じているようだ・・・。
ここは、目から鱗が落ちた部分です。
意識の上では、できれば楽したいと思っているし、そういう風に口にもする。
でも本当は、労働ということと切り離されたところに本当の喜びはないことにも気づいている。
そんな我々の姿を、見透かされたような気がしたのです。
そして、呉さんによれば、韓国にはそういう心性が希薄なのだということにも驚かされました。
日本人としての特性を、人間であるならば当たり前のこととして無意識に受け取ってきたような気がします。
しかし、むろんこうした認識を単に自己慰撫に使うということではなく、いままさに失われつつあるものとして、捉え返すことが重要でしょう。
グローバリズムに呑みこまれ、たまさかギャンブルで勝った者がそれ自体賞賛の対象になるような国に、日本をしてはならない。
そう改めて決心した次第です。