よしりん先生が
来てくれましたよー
生中継に失敗したお詫びとして、
「第13回・ゴー宣道場」
『新日本人に訊け』
の ダイジェスト版 が
一週間限定の無料動画として
アップされています。
「第13回・ゴー宣道場」
『新日本人に訊け』
の ダイジェスト版 が
一週間限定の無料動画として
アップされています。
追って、
第一部、第二部の全編完全版を
有料動画でアップします。
しかし、よしりん企画は今、
猛烈に忙しくて、時浦にも
動画編集の時間が
なかなか作れない状態です。
なのに19日には、
3本の動画を収録して、
これも編集しなければなりません。
3本の動画を収録して、
これも編集しなければなりません。
さらに25日には
渡部陽一氏の動画、
26日には有本香氏の
動画を収録します。
渡部陽一氏の動画、
26日には有本香氏の
動画を収録します。
動画収録の日程が
バラバラになるのは、
わしのスケジュール調整も難しく、
仕事に多大な影響が出るのですが、
仕方がありません。
バラバラになるのは、
わしのスケジュール調整も難しく、
仕事に多大な影響が出るのですが、
仕方がありません。
そうこうしてるうちに
6月5日には次回道場の
打ち合わせを行い、
12日には「原発」を論じる
「ゴー宣道場」が
開催されるわけです。
6月5日には次回道場の
打ち合わせを行い、
12日には「原発」を論じる
「ゴー宣道場」が
開催されるわけです。
うわーーーーーーーーーっ
あっという間じゃないか
この分では3年なんて
すぐ終わってしまうのかも
しれません。
もっと焦る必要がある。
昨日、
産経新聞の女性記者が
インタビューに来ました。
学生の頃、
『ゴーマニズム宣言』を読んで
人生が変わったと話していました。
『ゴーマニズム宣言』を読んで
人生が変わったと話していました。
お世辞かもしれませんが、
そこまで言われると
悪い気はしない。
そこまで言われると
悪い気はしない。
わしは疑り深いから
褒められてもなかなか
信じられないのです。
褒められてもなかなか
信じられないのです。
漫画の人気投票の世界が、
わしをそのような性質に
変えてしまいました。
わしをそのような性質に
変えてしまいました。
でも少しは
人の生き方や考え方に
影響を与えられるのなら、
嬉しい気もします。
なにしろ落胆することの方が
多いですから。
多いですから。
そういえば、
先日の「ゴー宣道場」で、
「小林先生は国に裏切られる
ことの方が多いようだけど、
それでも国を想う気持ちは
萎えませんか?」
みたいなこと聞いた
参加者がいましたね。
痛いとこ突くよねえーーー。
産経新聞の記者は、
わしの 「父」 について
インタビューに来たのでした。
わしの 「父」 について
インタビューに来たのでした。
そのとき彼女は、
わしの父のことを
「ご尊父様」「ご尊父様」と言うから、
わしの父は
そんなに尊い父親じゃ
なかったのだがなあと思い、
苦笑してしまいました。
わしの父のことを
「ご尊父様」「ご尊父様」と言うから、
わしの父は
そんなに尊い父親じゃ
なかったのだがなあと思い、
苦笑してしまいました。
しかしその記者は、
わしの父のことをよく知っていて、
わしが忘れていた
父のエピソードを
次々に出してくる。
相当『ゴーマニズム宣言』を
熟読しているようなのです。
そのせいで久しぶりに
今は亡き父のことを
細部まで思い出してしまい、
福岡に帰省して
墓参りするたびに、
墓石洗って、花飾って、
線香あげたら、
さっさと帰ってしまうことの
もの足りなさを思い出しました。
墓参りはやはり一人で
すべきなのかもしれない。
すべきなのかもしれない。
生きてる間は
父と真剣に語り合ったことなど、
一度もない。
父と真剣に語り合ったことなど、
一度もない。
死んだからこそ、
じっくり語り合ってみたいし、
わしはまだ完成していないからなと
伝えたいわけです。
じっくり語り合ってみたいし、
わしはまだ完成していないからなと
伝えたいわけです。
わしは父の平凡な
生き方には敵わないので、
非凡な生き方を
目指したはずなのに、
父のモラルが
染みついていて、
つい真面目な生き方に
堕してしまう。
もっと自分本位に、
もっと自己中に、
もっと本能のままに、
もっと快楽主義で
生きていかないと、
このままでは凡庸な
晩年を迎えるはめに
なってしまうのでは
ないだろうか?
もっと自己中に、
もっと本能のままに、
もっと快楽主義で
生きていかないと、
このままでは凡庸な
晩年を迎えるはめに
なってしまうのでは
ないだろうか?
わしの年齢には
さっさと定年退職して、
絵でも描いて地味に
暮らし始めた父ですが、
その絵がいかにもつまらなくて、
ぞっとするような萎縮した感覚で、
見事に「平凡」な人格を
証明していました。
さっさと定年退職して、
絵でも描いて地味に
暮らし始めた父ですが、
その絵がいかにもつまらなくて、
ぞっとするような萎縮した感覚で、
見事に「平凡」な人格を
証明していました。
天下国家のことばかり
描いていても、
表現者としては
平凡に堕してしまうことは
間違いないのです。
わしは新たな
自分の表現のためにも、
さらなる挑戦を
開始しなければなりません。