ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.4.13 21:44

日本はどこへ向けて復興するのか

4月10日(日曜日)のゴー宣道場第13回『大地震 有事と国民』は小林よしのり代表師範の「どう近代を乗り越えるか」という課題が、地震の中で問い直されるものとなりました。

小林よしのりさんは「義援金がまだ届かない段階で、一番最初にボランティアの人たちが活躍したのは心から尊敬する。そして国と民衆の中間にある行政が比較的役に立たず、避難所含め学校区単位で機能していたことは重要だ」とおっしゃっていました。

被災地の人々の苦闘はまだまだ続いています。しかしそんな中でも、出来ることをしている人たちには頭が下がります。「ボランティア」といっても、外部から来る人たちだけではなく、立場の分け隔てなく、助け合っている場合もあるでしょう。


第二部で挙手された、岩手県盛岡市から来られたYさんはスーパーの総菜部門の主任として、押し寄せるお客さんに、いま入っている商品はこれしかないと正直に説明し、「今県内で津波を受けた方面の方々はご存じのように大変な状況にあります。どうかそれを考えて買って下さい。あえて幾つとは言いません」と連日呼びかけたら、次第に秩序ができ、お客さんから激励さえ受けた、とおっしゃっていました。

そのスーパーはチェーン店なのですが、震災後の対応は、店が開く時間から何から全部現場から主導していく形になった、とのこと。

思えば、原発事故そのものも、危険な確率が少ないならその確率には目をつむるという設計主義的な発想が通用しなくなった時、現場の人間が必死に復旧活動をする姿が人々の胸を打ちました。

第二部で発言された、被災地に入られたGさんは、神社に大きな被害が少ないことに着目。「地震列島日本でもともとそこだけ被害を免れて残っているところを鎮守の森としたのでは?」という仮説を立て、そこには地元に住む人々の、科学を超えた直感があったのではという考えを述べられました。

Gさんはまた、地域に詳しい人、地元に土地勘のある人がいると、リーダーとして集落を非常によくまとめて、外部の支援も的確に届きやすくなり、それによって心が安定する。それがあるとないとでは大きく違うとおっしゃっていました。

その土地を知っている人間が先頭に立って助け合うことが、やはり最も大切なのでしょう。

自らも被災しながら、いわき市の復旧のために働いたYさんは、他の人を救うためになる活動で充実を得る自分はエゴなのではないかと自省しつつ、同時にそこには、消費社会で提供される「レジャーの幸福論」を超えた、人間の本来の幸福のあり方が見えるのではないかと語っておられました。

それを受けた堀辺正史師範は「非常時には普段意識しない、人々もすべてがつながっている有機体なのだと自覚できる。そこに真の喜びがある」とおっしゃいました。

非常時に人々はつながりを認識するが、しかし同時に震災で人々のあり方が分断される危険もある。

具体的にいえば、被災地の人々の営みを切り捨てて表面上の復興をしようという動きに警戒しなければならない。


おりしも高森明勅師範が、持参した雑誌「AERA Biz」最新号の復興計画を批判。東北を経済特区にして外資を入れろというその雑誌の提言は「東北植民地論」であると危惧されました。


政治家の政策秘書をされているGさんは、これからの課題として、被災地の人々が地元の土地を使って、地元の職業が得られることが大切だと語っておられました。


これから内需をどう維持するのか、農業漁業などを東北でもう一度再興するにはどうしたらいいのか、それを考えるのが大事であると。


それは、「日本はどこへ向けて復興するのか」という小林よしのり代表師範の問いかけに直結します。


1 「AERA Biz」の復興計画やTPPにみられるようなグローバリズムにより拍車のかかる方向

2 「成長神話」への疑問を持ち、日本が「近代をいの一番に乗り越えて考え直そうとする」姿勢を持つ方向


震災後の人々の助け合いのありようは、加藤紘一議員が「地域ふれあい単位制」を唱えたときの精神がまさに具現化した姿といえるかもしれません。日本人の復興の可能性は、地域をなくし設計主義的な街を作ることではなく、その逆なのです。


パトリオティズムで故郷を復活させるか、机上だけの設計で復興を目指すか、いまの日本人にはそこが問われている
のです。


堀辺正史師範は「我々国民一人一人はいまこそ政治的な発言をもっとすべき」とおっしゃいました。


僕もその通りだと思います。

非常時に「発狂」しヒステリックになるのは、普段自分がそれらについて何も考えてこなかったということを、自分で知っているからではないでしょうか。


道場当日の10日は都知事選の日でもありました。

帰宅し、テレビで石原慎太郎の当確を知った私は、複雑な気持ちになりました。

いまのこの時期に、都知事としての経験のある人物に継続して知事の立場を任せるのは、実感的によくわかります。


けれど、(道場終了後の師範同士の「語らいタイム」でも話題に出たことですが)保守=パトリオティズムの持ち主」では必ずしもありませんそして、石原慎太郎はその点かなり怪しい。彼は高度成長のイケイケドンドンが人々を幸せにするという価値観から脱却できない人物ではないでしょうか。


ところが他に頼りになりそうな候補者が見つからないのもまた事実。

近代を乗り越える視座を持つ保守政治家が対抗馬に見出せないことが問題の本質だと思います。


民意の受け皿が候補者に見いだせなかった……という言い方をするのは簡単ですが、これも私のような都民一人ひとりが普段から政治の言葉を持って、他者と言葉を紡いでこなかった結果です。


あと3年で変えねばならないのは、このような状況そのものではないでしょうか。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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