ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.1.30 23:48

「若者」としての「強さ」

   ゴー宣ネット道場『切通理作のせつないかもしれない』では、第17・18回の二回にわたって、番組パートナーのしじみさんと『修身論』を読み、後半の第18回ではなんと、同書の著者として、小林よしのりさんに「ゲスト出演」して頂いてます。
   
http://www.nicovideo.jp/watch/1296380900

   そもそも「修身」とは儒教四書の一つ『大学』で語られていました。

  古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斎う。その家を斎えんと欲する者は、先ずその身を修む。

 その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。知を致すは物に格に在り。

    『修身論』に引用され、前回(第17回)の冒頭でしじみさんが朗読していたこの部分をわかりやすく言い直すと、

  「立派な政治を行うには、先ず自分の家を大切にする。その為には自分自身を磨くところから出発する。社会人として信頼されるには、能力と人格の両面で自分を磨く事が必須。自己の知識を最大に広めるには、客観的な事物に即して道理を見極めることが先決」

   ということになります。
   つまり、「修身」そのものが、「社会人になる」ということと密接に結びついているのだということがわかります。
   修身は子どもの時代に育む綺麗事の道徳なのではなく、社会で験されなければなんの意味もないのだと。

   「いざというときは自分の身を賭しても他人の人命を守る」などとヒロイックに意気込んでいながら、社会の中で「働く」ポジションを見出していないような人間が、修身に適うとはとても思えません。

  そもそも『せつないかもしれない』で『修身論』を読もうということになったのは、番組パートナーのしじみさんが、命がけで線路に落ちた人を助けるなんて、自分には出来るだろうかと考えてショックを受けた・・・・・・ということがきっかけになっています

  しかし僕はそこに、自分の分を越え出てものを言わない、しじみさんの「強さ」を感じ取ったのです。
  しじみさんは、連日徹夜の撮影でもカメラの前で最高のテンションを保つためにギリギリまで頑張り、監督さんからも「命がけで役者をやっている」と言われる人です。
  なのに、彼女と話していると、役者として「人に何かを与えてる」とは決して言いたくないという態度が見えます。結果的に完成した映画を見て楽しむ人がいたとしても、それは「自分が気持ちよくなるため」だと言い切ります。

  これを、言葉通りの自己満足と取るのは早合点に過ぎる、と僕は思います。
  
  僕のように、もう40代の後半となり、さすがにまだ心身が衰えてるとまでは思わないにしても、人生の時間として折り返し地点を過ぎたということは否応なしに意識する年代になると、

  「身すぎ世すぎだけではない、『世のため人のため』になる何かをしなければならないのではないか」

   と、思い始めます。
   それは社会人として自立し20年以上働いてきたというある程度の自負の上に立った考えでもあります。

   しかし、しじみさんのような「若者」が、「『人の役に立つ』ということにすがりたくない。あくまでまずは『自分のため』にやっているんだ」という態度をとるというのは、至極まっとうなことに思えます。

   修身の定義する「強者」が社会を考えに入れることだとするならば、まずは仕事で自分の身を立てることが第一であり、それが出来るまで自分は「強者」とは呼べないと思い、そうした分を守りながら顔を上げて生きていくことそのものが、若者の「強さ」なのだと思います。

   今回「ゲスト」で出てくださった小林よしのりさんが、ゴー宣ネット道場の技術担当である河原さんの例も出しながら、目上の人からすれば態度がいい加減のように見える若者でも、実際は非常によく働き、気の付く人である場合もあるとおっしゃっていました。

   先日のブログでも書いたように、僕たち年長者は、ついハキハキして意志表示を強く押し出すような若者にのみ期待してしまいがちです。そちらの方が目立つし、わかりやすい。
  「いまの若者には覇気がない」などと、自分がどうだったのかも忘れて、簡単に口にしてしまいがちなところがあるのではないでしょうか。

  ましてや、いまの時代は、職業選択においてすら、僕らの世代に比べ著しく制限された中で選択していかなければなりません。
  若者だからといって、気宇壮大な夢ばかり追っているわけにはいかない。
  しかし人には、いつの時代も、社会の中でこそ験されていきたいという「志」があるはずであり、それは鈍感な上の世代からは見えにくい形でも、実は脈々と波打っているはずです。

  そんな若者に、僕も出会いたいと思います。
  国内の人ならまだ応募、間に合います。
  第11回「ゴー宣道場・若者の現実と夢」お待ちしております!
  https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=bbs_view_main_post&post_id=12&block_id=24#_24

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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