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高森明勅
2011.1.24 13:09

中国人留学生「日本の良いところ」

私は大学で日本文化についての講座を担当している。

海外からの留学生が受講することも多い。

マレーシアからの留学生が2人いて、1人はイスラム教徒で、もう1人がヒンズー教徒だったようなこともある。

彼らの証言は、比較文化論上の興味深い教材として、有益だ。

アメリカ人の留学生に、

ケンタッキーフライドチキンの店頭に置かれたカーネルサンダースの人形がアメリカには無いことを、

日本の学生達に説明して貰ったこともある。

あの人形は見かけは日本っぽくないが、実は我が国固有の文化の1つであることを分からせる為に。

中国の留学生には、食事のマナーの違いについて、語って貰った。

日本では原則として、出された料理は出来るだけ残さず食べるのが、エチケットだ。

残すと「美味しくなかった」というメッセージになってしまいかねない。

少なくとも、一度箸をつけた料理は全部平らげるよう心掛けるものだ。

ところが、中国の場合は違う。

逆に必ず残す。

「あれは何故?」と説明を求めた。

それは、残すことが「満足しました」というメッセージになるからだいう。

全部食べると「足りなかった。満足してない」になってしまうと。

なるほど。

どちらも、料理を出してくれた人への配慮である点では、同じ。

でも表現の仕方が全く逆。

しかも、それぞれ「合理的」だ。

どちらかが絶対に正しく、他方が必ず間違っているという話ではない。

そこに文化というものの面白さがある。

単なる相対主義、多元主義とも違う。

この場合だと、料理を出してくれた人への配慮は、

表現の違い、文化の違いを越えて、必ず求められているからだ。

そうした「違い」を超越する次元を自覚することで、一方では逆に個々の文化の違いに寛容になれる。

そんなところから去年4月の授業を開始した。

最終授業では「中国の良いところ、自慢出来るところ」を尋ねた。

「親を大切にすること」。

これは儒教で一番重視される点だ。

「ハッキリものを言うこと」。

私が「日本人みたいに曖昧な言い方はしないってことだね」と、

やや自虐的に水を向けると、

「そうです!」とキッパリ答えた後、大急ぎで付け加えた。

「あの曖昧な言い方が、相手に配慮した日本人らしい〈和〉を重んじるやり方なんでしょうけど」。

おや、いかにも中国的な断定の一方で、優しく「日本的」な配慮を見せてくれるではないか。

次に「日本の良いところ、好きなところは何かある?」と質問してみた。

彼らが異口同音に答えたのは

「日本人は礼儀正しい」「日本人はレベルが高い」ということ。

これは「日本的」なリップサービスではない。

まさしく中国的な確信に満ちた断定だった。

突っ込んで聞いてみると、こんなことを喋ってくれた。

「お店に入ると、ちゃんと『いらっしゃいませ』と言ってくれるし、終始、態度が丁寧。中国ではこんなことはない」

「満員電車に乗っても静かだし、駅に着くと、一部の例外を除いて、

ドア近くの人達は降りる人が困らないようにちゃんと一旦ホームに降りてあげている。あれは凄い」等々。

我々日本人が当たり前過ぎて気にも止めないことを、彼らは「日本の良いところ」として次々と並べ立ててくれた。

日本の学生達も自分達の大切な文化的な「財産」について、改めて考え直したのではないだろうか。



高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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