「現代ビジネス」に掲載された、江森敬治氏による「皇室の『スクープ記者』が見た、悠仁さまとふたりの姉たちの『ほんとうの関係』」という記事。
前半は、悠仁さまが平成最後の一般参賀にお忍びでいらしていた事。2人のお姉様とのエピソードなどを興味深く読んでいましたが、後半の記述に著しい違和感を抱きました。
「9人連続で女性ばかり……」という現実は、皇室にとっては存続の危機だった。いわば、大相撲でいうところの「徳俵に足がかかった」状態だ。そこまで皇位継承問題は、追い込まれていたことになる。悠仁さまの誕生は、それを粘って、逆転勝ちをおさめたようなものではなかろうか。仮に10人目が、女の子であっても全然不思議ではなかっただろう。そういう意味では、愛子さまの次に生まれた悠仁さまは、まさに強運の持ち主であるといえる。
※強調部は筆者
相撲への例えであっても、女性皇族を貶めているも同然の表現ですし、「強運」という言葉も、悠仁さまという人物ご自身への人格や努力などへの賛辞ではなく、「男系男子」という要素のみにかかった言説です。
これは結局、「男の血」のみへの執着で、全く体温を感じない賛美を声高に叫んでいる者たちと精神性は変わりません(そして、秋篠宮家への異様なバッシングの裏返しで愛子さまを賛美している者もまた同じ。どちらも歪すぎます)。
そしてさらに後段
悠仁さまは、天皇陛下と、その弟である秋篠宮さまの次の世代における、ただひとりの皇位継承者ということになる。18歳のひとりの成年が、「世界最古の王朝」といわれる日本皇室の将来を担うことになるが、その行く末は決して平坦ではない。
たとえば、大学に進学したあとも、数年後には結婚問題が控えている。結婚相手を決めることイコール“未来の皇后さま探し”でもあり、それに、大事なお世継ぎの問題など高いハードルが次々待ち構えている。当然のこととして、皇室には新しいドラマが始まる予感がする。
外でもない、こうした言説こそが悠仁さまの将来を余計に「決して平坦ではない」ものにしています。「新しいドラマ」などと美化して表現していますが、皇族の皆様が抱えてきた、因習に基づく苦しみの「再現」を期待しているように感じてしまう(江森氏にとっては「書くネタ」が増えるのでしょうが)。
もちろん皇族に限らず全ての人間には、生まれた環境に起因する運命に人生を左右される事から逃れられませんが、少なくとも「性別」という要素で「勝ち・負け」のような言い方をされる種類の呪詛は、いいかげん打ち払うべきです。
ただでさえ、あまりにも多くの「制限」の中で生きる立場を引き受けていただいている皇族であればなおさら。
国民統合の象徴たる皇族の皆様が因習に苦悩させられるような状態では、国民も絶対に幸福にはなりませんよ。