ライジングで連載中の「女帝・持統天皇烈伝」、今週描いた「壬申の乱」の行軍地・三重県にお住まいの方からいただいた感想です。
地元に壬申の乱に関わる話が残っているのを聞いてはいたのですが、実は今までよくわかっていませんでした。
教養もなく、勉強もしていない為、小学校も中学校の授業も漠然と壬申の乱があったとしか聞かなかった記憶しかありません。
トンデモ見聞録でどの様な事だったのかを面白おかしく知ることができました。ありがとうございます。
三重の郡家と呼ばれていたとされる所も、朝明川の川辺も、大海人が日の出を遥拝した所も物凄く近所です。
諸説あるようですが隣の朝日町の地名の由来になっているそうです。
地元は鈴鹿下ろしがもろに直撃しますので当時も寒かったのでは?と思います。北海道から来た人が寒いと言ったとか…(本当かな?)
こんな素敵な話が残っているのならもっとアピールしたら良いのに。
次回も楽しみにしています。ありがとうございます。
私も子どもの頃の記憶は、「じんちんのらん」ぐらいです。
名張にも鈴鹿にも関にも友達がいてよく遊んでいたので、地元の地名もまじえて聞いていれば、ワクワクして、もっと早くから興味を持ったかもしれません。
でも、三重の人は、そんなに商売っ気がなくて、がんがん地元アピールしないですよね。
それって、伊勢神宮があるからかなと思います。
座って待っていても「お伊勢参り」のお客が次々やってくるので、「おかげさん、おかげさん」で儲かってきた商売が多いのだと思います。
鈴鹿山脈のせいで、夏でも寒いことあるよなあという感覚で書いていたけど、「鈴鹿おろし」という単語をどうしても思い出せなかったので、感想を読んで「ああ、それや!」と思いました。
伊勢湾と鈴鹿山脈との温度差で、日が傾くと、北西の風が吹き下ろすんですよね。
大海人皇子とさらら(持統天皇)の一行が拝んだ朝日(天照)にちなんでいるのだと思うのですが、三重県の東側一帯には、朝日や日の出を思わせる地名は、めちゃくちゃ多いです。
ちなみに、私が生まれ育った家は海岸沿いにありましたが、かつて、祖母が建てた連れ込み宿でした。
宿の名を「あさひ」といいます。
子どもの頃はよく、日の出直前の、水彩画のような空を眺めていました。