週末、ちょうどいいツアーがあったので、
旅順・大連・瀋陽に旅をしてきました。
まずは、満州事変の舞台となった瀋陽(当時は奉天)。
ところどころに満州国時代の面影が残っています。
かつての奉天駅。
東京駅と雰囲気が似ているのは、建築家・辰野金吾の弟子筋が
設計したからだとか。
奉天の大和ホテル。今も営業しています。
ちなみに大連の大和ホテルは改装中でした。
大連の大通り沿いにある満鉄本社。
写真の左側にあと2棟あります(収まりきらない)。
中を見学できるようですが、早朝のため外観のみ。
旅順博物館の前にある初代・関東軍司令部。
のち新京に移転しました。
二〇三高地。乃木希典による「爾霊山」の揮毫。
周辺は広大な桜の公園になっていました。
山の裏手には、乃木大将の息子・乃木保典戦死場所の碑もあります。
ロシアが強固な要塞を築き、激戦となった東鶏冠山北堡塁。
無数の弾痕が今なお生々しく残ります。
ロシアの大砲などが現在も設置されており、
山をぐるりと回る道が整備されています。
麻田雅文著『日ソ戦争』では、ソ連が中立条約を破棄して
満州や樺太、千島列島に侵攻してきた時期の日米ソの外交や戦略を
詳らかにしています。本書によると、日本のポツダム宣言受諾後、
アメリカがもたついている間にソ連は旅順・大連を速やかに占領、
のち中国共産党が進出し、大連は国共内戦中の拠点となった由。
日露戦争、満州事変、国共内戦と時代が行ったりきたりですが、
今も昔も、遼東半島は地政学的に重要な位置にあるのだと
旅順口を眺めながら思ったことでした。
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