夏のよしりん50周年祭りで、「日本の知識人は戦後民主主義
にどっぷり嵌っているので、『戦争論』の議論をできる人物が
いない、そういう人をゲストに呼んでも、聴いててイライラ
するから、門下生の中から『戦争論』について語れる熱心な
人を選んで、議論した方がいい」と、総合Pちぇぶが言う。
じゃあ、全部任すと言ったが、総合Pはズーム会議でいまいち
盛り上げるのに失敗したようだ。
言いわけを聞いてると、わしは不愉快になってこう言って
しまった。
「そもそもちぇぶはアジテーションが出来ない。それは女
だから仕方がない。全権委任しているのに、ちぇぶ自身の
主体性がまだ足りないのではないか?わしの権威にすがって
いるのだろう。わしの意見なんか聞かずに勝手に独裁的に
やってしまえばいいじゃないか!」と喝を入れたら、電話の
向こうで泣きだしてしまい、しょげかえってしまった。
「泣かなくていい。わしがやるから大丈夫だ」と慰めたが、
女は感情に波があるので、落ち込んだままだった。
ところが翌日である。
いきなり、「自分が第一部のメンバーを選んだ。テーマを
《よしりん亡き後、『戦争論』をどう伝えるか?》として、
私が司会をする!」と言ってきた。
正直、テーマタイトルの付け方に驚いた。
厳しいことを言われて、わしのことを死ねばいいのにと
呪ったのかもしれないが、わしは「す・・すごいね」と
言ってしまった。
総合Pは言う。「今までの議論を見てると、常によしりん
先生が進行の鍵を握っていて、門下生はそのパーツに
なっている。」
「今度は私が司会をやって、先生に主導権を渡さない!」
と宣言して来た。
たった一晩でこうまで変わるのだろうか?
今度、メンバーを集めて試しに議論をしてみるそうだ。
「その動画を撮るから、見てみてくれ」と言う。
イベントひとつやるにも、トラブルや喜怒哀楽の感情
の手当てもあって大変だ。
しかし新間寿とアントニオ猪木の興行を仕掛けていた
頃の新日本プロレスも、こんな感じだったのかもしれ
ないと思った。
わしがアントニオ猪木で、ちぇぶが新間寿なのか?