President Onlineに掲載された、元木昌彦による下記の記事を読んで、頭の中が????だらけになりました。
まず「『愛子天皇論』を爽やかに吹き飛ばした」という過激なタイトル。筆者と編集部のどちらが付けたのかは不明ですが、なぜか本文中にはこれに該当する記述はありません。
愛子さまの立太子〜即位が望まれるのは、性別を問わない直系長子優先にして安定的な皇位継承につなげるためですが、このタイトルは愛子さまと悠仁さまの属人的な人気比較に矮小化させるような、実に的外れなものです。
もし編集部が付けたものだとしても、文全体のレベルを著しく下げてしまうこのタイトルを、元木氏は許容しているのでしょうか?
さて、肝心の本文ですが、大半は事実関係や他メディアの記事からの引用を「並べただけ」の緩慢な内容。元木氏はFRIDAYや週刊現代といった雑誌の編集長を歴任しているはずですが、記者やライターがこんな文を書いてきたらOKを出すのでしょうか?
そんな、明確な主張のないのんべんだらりんとした構成の中で、一箇所だけ「具体的な提案」をしている箇所があります。
(週刊新潮に八木秀次がコメントした悠仁さまの帝王学への懸念コメントを受けて)
しかし、帝王学を学ぶ時間は悠仁さんにはまだ十分すぎるくらいある。上皇が生前退位したのは85歳の時。現天皇は現在65歳だから、失礼を省みずにいうと、もし上皇と同じ歳で生前退位したとしても、悠仁さんはまだ弱冠37歳である。
秋篠宮は自分は天皇になる気はないと公言している。だが、新天皇が40手前ではまだ若すぎるのではないか。
悠仁さんへバトンタッチする前に、国民からも熱望されている愛子天皇を実現する。それが悠仁さんにとっても、世界に開かれた皇室にするためにも早急に実現させるべきではないか。悠仁さんの会見を聞いていてそう思った。
これ、「愛子天皇を実現」という文言は入っているものの、つまりは愛子さまを「中継ぎの天皇」にしようという事で、要するに「女性天皇は良いけど女系天皇はね」という男系固執論に他なりません。
これのどこが「世界に開かれた皇室にするため」の方策なのでしょう?
しかも、文中で触れているように、秋篠宮さまが天皇になる気はないと公言されているのは何故か?兄の今上陛下と5歳しか違わないためですが、愛子さまと悠仁さまの年齢差はまさに5歳。上記引用の元木論だと、悠仁さまが天皇になるのに相応しい年齢(それが何歳かは不明だけど)になるまでの、都合の良い時間調整のために愛子さまを中継ぎ天皇にしようという事になります。
また、37歳を「弱冠」と言いますが、上皇陛下が生前退位を望まれた背景の一つには、即位年齢が高齢化(上皇陛下55歳、今上陛下59歳)している事への懸念があります。どなたが即位されるかに関わらず、40歳前後での即位というのは、全力をもってお務めをなさり、国民と共に「一つの時代」を作るには、むしろ最適な年代と言えるでしょう。
これは、愛子さま、悠仁さまの両方に大変失礼であると同時に、天皇という存在について深く考えた事が無い事が露呈する、実に浅慮で事務的な理屈です。
記事の締めくくりでは
帝王教育よりも大切なことがある。それは、超保守主義者のためだけに天皇や皇室が存在するわけではないこと、新時代の皇室はどうあるべきかを考えること、それに手を付けるために何をするべきかを考え行動に移すこと。愛子さんと悠仁さんには、それができる知恵と行動力があると、私は思っている。
と上から目線な言葉を「贈って」いますが、愛子さま、悠仁さまの主体的な思いや行動を(国民の願いにも反する形で)蹂躙しているのが、「国民の代表」であるはずの政治家です。
その少し前では
この国の政治家、官僚、有識者たちの超保守主義の中で生きてきた皇室という「温室」が、世界の流れから取り残され、孤立してしまっていることを悠仁さんには気が付いてほしい。
と、これまた上から目線で言っていますが、「政治家、官僚、有識者たちの超保守主義」により一番苦しめられているのは、悠仁さまをはじめとする皇族方に他なりません。
この記事には、悠仁さまも会見で述べられた「常に国民を思い国民に寄り添う」姿勢への、国民からのアンサーとなる思いが全く感じられません。本当は、さして皇室の事になんか無関心なんじゃないかな?
それは、老齢のライターが、18歳の悠仁さまにべったり甘えて放言している姿であり、醜悪な皇族バッシングと全く同根の精神性であると言えるでしょう。