『SPA!』3/11・18号の倉山記事。
今週は全体会議(天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に基づく
政府における検討結果の報告を受けた立法府の対応に関する全体会議)について。
しかし、間違った思い込みとそれに基づく印象操作、
説明になっていないエセ解説と無駄な評論家気取り、
さらに論理展開がいつも通りメチャクチャなので、
どこから突っ込んでいいかわからない。
記事では、全編を通して女性・女系容認派をディスっている。
全体会議で民主党は個人の意見を言ってたしなめられたとか、
共産党は相手にされないとか、
小会派は20名程度、”いつもの野党”で「何も考えず」・・・等々。
本人は偉そうに評論しているつもりかもしれないが、
にじみ出るのは品性のなさだけだ。
これに無自覚な時点で、すでにバランスを欠いていると
言わざるを得ない。
そして先例カルトっぷりをこれでもかと披露している。
①会議で「先例云々」と発言した有志の会の福島伸享議員の
意見に、多数の党が賛成したと持ち上げている。
(案の定、倉山の番組に出演経験あり。
この人、水戸の歩二会慰霊祭で挨拶したような気がするが、
随分と騙されやすく、短絡的な人なのね)
②「(会議では)先例に則って議論する限り、
皇室を守ろうとする側の負けはない」
意味がわからない。
そもそも先例の明示がない。
そもそも先例に固執することと皇室を守ることは
イコールではない。
そもそも勝ち負けではない。以上。
③「歴史の中に知恵を発見するために、先例に基づいて
議論するのが、皇室を語る際の態度である」
全然違う。
歴史の中に知恵を発見するために、
先人たちの営みを学び、そのエートスをすくい上げ、
現代に無理なく整合させていこうとするのが
皇室を語る際の態度である。
噴飯ものなのが、以下。
④「皇室について語ること自体が、畏れ多いことである。
皇室の行く末が日本国を守ることであるから、
知恵のある者が語らねばならないときも、
すべからく先例に基づくべきである」
ぷぷぷ、知恵のある者って自分だと言いたいらしい。
そして相変わらず先例とは何ぞや、という明示がない。
あのね、先例などというのは恣意的なの。
どの時代を取り上げるかによって変わってくるの。
倉山が取り上げる先例はとかく室町時代と明治時代が多いけど、
それとて倉山のいう「新儀」を経たからなの。
さまざまな事情から、何かを変更したり、新たに始めたりして、
それが当時の人々の都合や時代の要請によって遺っていったの。
それらを踏まえた上で、では人々が遺そうとしたものとは
何だったのかを考えるのが肝要なの。
目に見える「形」ではなく、「エートス」の部分ね。
それをただ「先例に基づくべき」だなんて、
そんな原理では「天皇」という称号も生まれなかったし、
「院政」が敷かれることもなかったし、
結婚した女性が「皇后」になることもなかったの。
何度言ったらわかるのかね。
しかも倉山は「男系継承を続けてきた」ことが
「先人たちが遺してきたもの」だと思っているからタチが悪い。
我が国の皇室は、神話の時代も含め、
神武天皇の伝説以来、一度の例外もなく
皇位の男系継承を続けてきた。万世一系である。
これ、ただの勘違いだから。
神武天皇の伝説以来・・・などというなら、それを証明しなきゃ。
女系継承があった歴史的事実を無視していい理由を述べなきゃ。
ただ単に「一度の例外もなく男系継承を続けてきた」なんて
呪文のように唱えたって、何の説得力もない。
都合の悪い歴史を無視する人が「先例云々」と言ったところで、
エラそうに語る人間をエラいと勘違いする政治家以外に
誰の心にも響かない。
そのことがわかっているから、マトモな主張をする人間を
わざわざ貶めたり揶揄したり、小手先で弄ぼうとしている。
誠に器が小さい。非常に子供じみている(というか幼児だ)。
看過できないのは、次の2点。
まずは、先例に基づいて議論すべきだという主張の論拠を
多数欠の危うさに求め、国王を処刑したフランス革命を
例として出している点。
これは二重にオカシイ。
一つは、単純だが、倉山にとっての「反対派」は
天皇を処刑しようなどと1㎜も思ってないこと。
むしろ逆で、「どのように皇位を安定的に継承していくか」に
主眼を置いている。ゆえに性別の縛りをなくそうと言っている。
フランス革命を例に出してそれと並べるのは完全なるミスリード。
二つめは、多数欠の危うさについてはその通りだが、
自分の都合で賛成にも反対にも回るという、
自家撞着を起こしていること。
全体会議が与党も少数会派も同じ一会派なのは、
安易な多数欠ではなく、立法府の総意を
取りまとめなければならないからだ。
倉山自身、そう書いている。
しかしそれを建前、時間の無駄だと批判している。
ならば多数欠でいいのかと思いきや、その矢先、
多数欠はダメだとフランス革命を例に出して
言っている。
要するに「安易な多数欠を防ぐ手立て」を、
自分にとって都合の悪い場合には「時間の無駄」とし、
持論(先例カルト)を補強する場合には
もっともらしく持ち出すのだ。
倉山は、自分で何言ってるかわかってない。
看過できない点その2。
こちらは論点のすり替え。重複するが、該当箇所を紹介する。
我が国の皇室は、神話の時代も含め、
神武天皇の伝説以来、一度の例外もなく
皇位の男系継承を続けてきた。万世一系である。
一般人の男が天皇になった例はもとより、
皇族になった例も無い。
これ、何がすり替えか、わかりますか?
「皇位の男系継承を続けてきた」のなら、
「だから女は皇位に就けない」と書かなければ
論理的整合性がとれない。
だけどそうハッキリ書いてしまったら、
今の時代、絶対に受け入れられない。
それがわかっているから、話題を男にずらしているのだ。
卑劣だよね〜。
みっともないよね〜。
これまで何度も言ってきたけど、皇位継承問題の本質的な問題は、
「一般人の男」の話なんかではない。
女性はなぜ天皇になれないのか、だ。
直系でもなれない。それは女だから。
傍系や旧宮家の一般男性(国民)のほうが優先される。
女というだけで。
それはなぜなのか、真正面から答えられるなら答えなさい。
「ようやく政界では先例に基づく議論で動き出した」
などとエラそうにまとめているが、
あなたの先例カルトなどどうでもいい。
単なる自己満足に過ぎないのだから。
きちんと”言論”しなさい。情けない。
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