1月中旬から3月中旬まで、土曜日は概ねDOJOや歌謡曲関連の用事で埋まっていたのですが、本日2/8だけは珍しく空いていました。
そうした日は大体、歌謡曲のオケを作ったり動画の作業をしたりといった自宅作業をしているのですが(今日もそのつもりでした)、今日の朝になって「偶然」にも皇統クラブ活動に関係する催しを知って参加する事ができ色々と収穫がありました(この詳細はまた改めて)。
先述の通り、このタイミング自体は「偶然」なんですが、普段から関連した情報へのアンテナを張っていたり、すぐに動くフットワークの体制が出来ていたから活かせたわけで、その観点では「必然」だったのだと思います。
僕は本業でもう25年ほど自営業をしていますが、一時期集中して取り組んでいた事が、その時はあまり成果に結びつかなくとも、10年ぐらいたって「これの依頼先でウチ以上の業者は日本にいない!」と断言できるような案件が飛び込んで来るという体験を何回もしています(逆に、ブーム・バブルに乗ったトレンディな案件は、一時的にボーナス的な収益を上げてくれるけど、ある地点で一気に(世間全体で)消滅します)。
そんな事を繰り返していると、人の運命というのは、例えば「隕石が頭に当たって死ぬ」みたいな純然たる偶然を除いて、大抵は広義の「必然」なのだなという思いに至ります。
「手数」が少ないと、一つの物事の不調が大きなダメージになります。うちの場合だとたぶん一週間に数個は「挫折」があり、同時にそれと同じかそれ以上に「新しい事」も始めているので、(他の人をダメージに巻き込んでしまった場合以外は)少なくともメンタル面ではさしたるダメージを負わない事がほとんど。
フィジカルな要素へのシビアな対応が必要なスポーツ界では、「根性論」から脱した科学的トレーニング的な価値観がが重視される傾向があります。
一方、言論・思想といった分野は(肉体・身体能力による補完がない分)ロジックの土台となる部分として「根性論」が重要であり、ちょっと皮肉をこめて呼ぶと「体育会系」なフィールドなのかもしれません。
(細分化したい)
幼少時から身体能力全般が低く、組織内での主従関係なども苦手な自分にとっても、「根性という概念」は、常に更新される社会との距離感、バランスを推し量るのに最適な概念だと思います。
各イベントのテーマと並行して、そういった部分での発想・想いなどを具体体な形にして行きたいと思っています。