例えば皇位継承問題は、多くの困難を伴うものではあっても、皇室典範の改正〜愛子さまの立太子という非常に明確な到達点があるので(皇統クラブ活動など、個人としての具体的な動きもイメージでき)モチベーションが保ちやすくなっています。
だけど、キャンセル・カルチャーに関する物事は「明確な解決」が無いので、とにかく気持ち悪く気力をすり減らして行く。本当に厄介です。
そもそもが、大騒ぎはしていても(存在するのかもわからない)「問題」にされている観点があまりにちぐはぐ、バラバラで、ただその時のターゲットを社会から抹殺せんとする方向のみが共通しています。
人々から染み出したルサンチマンは、鉄砲水のように物事を押し流すというよりは、じわじわと土壌を侵して、ぬかるみだらけの湿地帯のようにしてしまいます。
時代の激流に何かが押し流されても、やがて水がひけば、そこにまた新たなものを建てて再興することができます。
しかし、じわじわと、際限なく染み出る液体で湿ってゆるんでしまった地盤には強固な建物は作れないし、仮に何かを建てても湿気が多く不快な環境にしかならないでしょう。
キャンセル・カルチャーに便乗してルサンチマンを垂れ流しても、それは自分自身の足下を泥沼化させるだけです。
現に、例えばジャニーズが消滅した事で「あれを機に、実に楽しく幸せに暮らしています!」となった人っているのでしょうか?多分、いないでしょう。
特に、単にSNS上で憂さ晴らし的に石を投げていた無関係の者ほど、何もむくわれず、より一層じめじめした心で時を浪費しているような気がします。
愛子天皇の実現を目指す動きは、どすんと鎮座する岩戸をエイコラと動かそうという、大変だけど明確な土木工事。
一方、キャンセル・カルチャーとの対峙は、汚水でドロドロになってしまった広大な湿地の地盤改良工事みたいなものです。
難儀だけど、めげずにやってくしか無いよね。