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大須賀淳
2025.1.15 13:13その他ニュース

皇室いじめは「権力者による暴力」

獨協医科大学教授の井原裕氏による「〈これが国民の総意なのか?〉悠仁さま東大進学反対オンライン署名の問題点、主権者である私たち国民も「権力者」である自覚を」というコラムが、「皇室いじめ」の構造を端的に分析し、国民への自戒を促しており秀逸です。

 

まずは冒頭で


英国の歴史家ジョン・アクトンは、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」と述べた。日本の主権者は国民である。国民が権力の主体である。

ということは、国民という権力もまた、腐敗しないものだろうか。国民が絶対的権力を担うようになれば、この絶対的権力もまた、絶対に腐敗するのではあるまいか。


国民という権力も絶対に腐敗する」と示した上で、「悠仁さま東京大学進学反対オンライン署名活動」を「集団精神病理現象」と断じています。

 

この表現、とても腑に落ちます。この件だけでなく、皇室の皆様に向けたSNS上などでの誹謗中傷は、どなたに対するものであっても、まさに「病理」と呼ぶに相応しい異様な執拗さに溢れています。

 

全体を通じて、集団心理的に署名運動(という名の集団リンチ)に参加した者たちに警鐘を鳴らした後の、結びの一節も秀逸。


 主権在民のこの国にあっては、天皇も皇室も私たちの統合の象徴である。一方、主権者は誰かと言えば、それはとかく失念されがちだが、私たち国民である。権力の座についているのは、天皇ではなく、私たちなのである。

 

 私たちがその統合の象徴たる皇室に対して、どのような責任をとるか。それこそが問題の本質であると言える。


 

井原氏は、精神科医としての見地や、ジョン・アクトン、オルテガなどの言葉を引用しつつ、全体を通してはとてもシンプルで常識的な「バランス感覚」について述べていると感じます。

 

皇室バッシングは、秋篠宮さまがおっしゃる通り明確な「いじめ」ですし、しかもそれが権力者(としての国民)によるもので、皇族の皆様は一切の反論・反撃の手立てを持たない、とても悪質な暴力性を持った所業と言えるでしょう。

 

そしてこれは、直接バッシングの対象にされた方だけを傷つけるものではありません。例えば「愛子天皇を待望」と言いながら、秋篠宮家バッシングを行っている者は、愛子さまに対しても同等の暴力をふるっているのと同じです。

 

我々国民は「権力者」であるからこそ、皇位継承について自ら決定する術を持たれない皇族の皆様に対して思いを巡らせながら、決めていく「義務」があります。

 

国民が権力を託した国会が、のらりくらりと先延ばしにするのは、単なる怠慢を超えて、ネグレクトと同種の暴力です。

 

近く国会も始まります。すべての国会議員は、もはや態度を示さずやり過ごす事は許されません(注視し、そういう議員には「預けた権力を返してもらう=落選させる)必要があります)。

 

(もちろん自分自身も含めた)すべての「権力者」に、これ以上の「暴力」を許すな!

大須賀淳

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