「光る君へ」と読む「源氏物語」第30回
第三十帖 <藤袴 ふじばかま>
「光る君へ」第39回は、まひろの娘・賢子(南沙良さん)が裳着(もぎ 女性の成人式)で、まひろの弟・惟規(高杉真宙さん)に腰紐を結んでもらっていました。
実の父・道長が贈った白を基調とした織物で仕立てられた唐衣(からぎぬ 女房の装束で一番上に着用する上半身だけの短衣。下半身に着ける裳と対にして用いる)に黄色の衣を重ねた装いで際立つ賢子の美しさは、山吹襲(表地は朽葉 (くちば 赤みを帯びた黄色) 、裏地は黄)の衣で引き立つ玉鬘の華やかさが髣髴とします。
裳着の時点で賢子は「宮仕えはいたしません。母上と同じ道を行きたくはございません」と語っていましたが、その後、彰子に越後弁の名で女房として仕え、道兼(道長の次兄)の息子・兼高の娘を産んだと赤染衛門が「栄花物語」に書いています。賢子はさらに後冷泉天皇の乳母を務めて、大弐三位(だいにのさんみ 兼高と別れた後、再婚した高階成章が太宰府の次官である大宰大弐となり、賢子も従三位になったことから)と呼ばれるほど出世しました。
光る君は母・桐壺の更衣を苛め殺した仇といえる弘徽殿女御の妹・朧月夜と関係して隠遁生活を送りましたが、明石の君と出会い、后がね(将来、后になるはずの人)の明石の姫が生まれます。仇によって齎される幸運は、まさに禍福は糾える縄の如し。
「光る君へ」第1回で、まひろの母であり賢子の祖母・ちやは(国仲涼子さん)を道長の兄・道兼が殺す衝撃的な伏線は、道兼の息子・兼隆と賢子が結婚し、娘が生まれる史実に繋げて回収されると予想していました。実際の最終回は、道長の息子・頼宗とモテモテの「光る女君」賢子の同衾が描かれましたが、当時の異母兄妹の結婚は清和天皇と源済子など、いくつか例があるようです。
大石静さんによれば「最終回はやりたいことがいっぱいあって、あと放送が3回くらい欲しかった」とのこと。仇の息子と自分の娘が結ばれて生まれた孫を、まひろが抱くという、禍福は糾える縄の如し、という帰結は、描かれたかもしれない裏エピソードとして楽しんでいただいてもいいかもしれません。
今回は、宮仕えをするかどうか悩む女性のありさまをみてみましょう。
第三十帖 <藤袴 ふじばかま(薄紫色の花が咲く秋の七草 夕霧が玉鬘に詠んだ歌より)>
玉鬘は誰からも尚侍として仕えるように勧められますが「もし冷泉帝の寵愛を受けて、父・内大臣の娘・弘徽殿女御や、秋好中宮から疎まれたら立場がなくなるだろう」などと嘆いています。「そうかといって、このまま六条院にいるのは不都合ではないけれど、光る君の恋心が煩わしく、何かの折にここから離れて、世間から邪推されている関係を潔く断ちたい」と思う玉鬘は、内大臣に事情を打ち明けた後、遠慮なく迫るようになった光る君の有り様にも悩むのでした。
大宮が亡くなり、孫にあたる玉鬘は薄い鈍色(にびいろ 灰色かかった薄紫色 喪服の色)の喪服をまとい、それがかえって美しさを引き立てています。そこへ同じく大宮の孫である夕霧の宰相(さいしょう 太政官の官職・参議の唐名)の中将が、もう少し濃い鈍色の直衣(のうし 公卿の平常服)を着て、尚侍として仕えるようにとの帝の仰せ言を伝えにやってきました。
大らかに感じ良く仰せ言への返事をする玉鬘は、才知に長けつつも慕わしく、夕霧はあの野分の朝に垣間見た美しさが忘れられません。道ならぬ恋と思って堪えてきたものの、実の姉ではないと分かった後は、このままではいられない気持ちが募っています。
「誰にも聞かせてはいけないと父君より言われているのですが、どうしましょうか」と夕霧が意味ありげに言うので、女房たちは几帳の後ろなどで横を向いています。「帝の思いは並々ならぬものなので用心しなさい」など、咄嗟の作りごとを光る君からの伝言として次々に話す夕霧に、返事のしようがなく、ため息をつく玉鬘は、ひっそりとして可愛らしく、心惹かれる有り様です。夕霧は思いを堪えかねて、こんな折にと思って用意していた美しい藤袴を御簾の端からさし入れ、何気なく花を受け取ろうとした玉鬘の袖をとらえて歌を詠みました。
同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよかごとばかりも 夕霧
同じ野に咲き露に萎れる藤袴のように 同じ祖母の死を悲しみ 共に薄紫色の喪服を着る私達 情けをかけて下さい ほんの少しでも
尋ぬるにはるけき野辺の露ならば 薄紫やかごとならまし 玉鬘
もとを尋ねれば遠い野辺の露のように縁が薄いならば 藤袴の薄紫の色なんて口実でしょう
(喪服を藤衣ともいうことから、夕霧は「藤袴」に喪服のイメージを重ねている。さらに「むらさきの ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら あわれとぞ見る(長い根で繋がる紫草がひとつ咲いているゆえに 武蔵野で紫草の周りに咲く草花がみな 愛おしく思える) 詠み人知らず 古今和歌集」より、「紫」は血縁や愛すべき縁につながっている人を意味し、「縁 ゆかり」とも読むことから、藤袴の花の色である「紫」を「実の姉弟ではなかったけれど、従姉弟としての血縁や愛すべき縁に繋がっている人」として、同じく喪に服していることを示唆している。「源氏物語」は藤壺に縁の若紫(紫の上 藤壷の姪)を光る君が愛することなど、「紫」にまつわる恋愛譚から「紫のゆかりの物語」とも呼ばれる)
「こうして親しく話しているよりも、深い縁などあるでしょうか」と玉鬘がいうと、「浅いか深いかは分かっておられると思います。宮仕えされると伺っていながら、鎮められない心のうちを、どうしたら知っていただけるでしょう。柏木の様子はご存知でしたか。何故、私は他人事と思っていたのでしょう。我が身の恋心に気づいた今は、どんなに自分が愚かだったかが分かりました」などと夕霧は想いを訴えます。玉鬘は煩わしいことになったと思い「気分が悪くなりまして」と奥へ入ってしまったので、夕霧は深いため息をして、その場を立ちました。
夕霧は玉鬘に恋心を打ち明けてしまったことを後悔しつつ、もっと恋しい紫の上の姿を物越しにでも見たいなどと思いながら、南の御殿に戻って、帝の仰せ言への玉鬘の返事を光る君に伝えます。「玉鬘は宮仕えに気乗りしていないようだね。蛍兵部卿宮などの女性の扱いに馴れている人が口説かれるからだろうか。若い女性ならば、帝のお顔を少しでも拝すれば、宮仕えを断らないだろうと思って話を進めたけれど」という光る君に「どんなに帝が玉鬘を思われたとしても、秋好中宮や弘徽殿女御に立ち並ぶのは無理でしょう。蛍兵部卿宮は玉鬘が宮仕えをすれば、期待を裏切られたと心残りになるのではないでしょうか」などと夕霧は応えます。
「難しいね。私の一存で決められる人のことではないのに、髭黒の右大将さえ私を恨んでいるようだ。玉鬘の人柄は蛍兵部卿宮の妻には相応しく、現代風で艶やかな上に、頭も良いので上手くいくだろう。宮仕えをしても、不足なく立派に務めるだろう」などという光る君に、「内大臣は内輪で『六条院の身分の高い女性たちが沢山いるなかに玉鬘を加えられないので、宮仕えをさせて、実は自分のものにしようと考えているのだ』と喜んで言っていたと、ある人から確かに聞きました」と夕霧は伝えます。
「よく気を回されることだね」などと光る君は笑いながら「はっきりさせずに紛らわしている玉鬘への恋心を、よくも見抜かれてしまったものだ」と内大臣の洞察を恐ろしく思います。
喪が明けて喪服も脱ぎ、月が改まった九月(新暦で十月頃)は忌むべき月(正五九月 しょうごくがつ 陰暦の正月、五月、九月は、忌み月として、結婚などを禁じ、災厄を払うため神仏に参詣するものとされた)なので、玉鬘の参内は十月頃(新暦で十一月頃)にと、光る君が伝えたので、帝は待ち遠しく思います。玉鬘に想いを寄せていた人々は、参内の前に何とかしたいと頼りにしている女房たちに橋渡しをするように責め立てるのですが「どうしようもありません」と言われてしまうのでした。
髭黒の右大将は、柏木の中将が同じ右近衛府の次官なので、常に呼び寄せては熱心に玉鬘のことを相談しつつ、内大臣にも結婚の申し入れをしていました。大将は人柄も立派で、朝廷の後見にもなる人なので、内大臣は玉鬘の婿として何の不足があろうかと思うのですが、光る君が宮仕えさせようと決めたことに反対はできません。
大将は東宮の生母・承香殿(しょうきょうでん 後宮の殿舎の一つ)の女御とは兄妹で、太政大臣の光る君と内大臣に次ぐ人として、帝の覚えもめでたく、年は32,3歳くらい。正妻は式部卿宮の長女で、紫の上の異母姉です。女性の方が3,4歳上というのは、よくあることなのに、正妻の人柄がどういうものだったのか、大将は「嫗(おうな 老婆)」と呼んで大事にせず、何とか別れようと思っています。光る君は紫の上との関係からも「この縁組は玉鬘には相応しくなく可哀想なことになるだろう」と考えているようです。大将は色めかしいところはない人なのに、今度ばかりは心を尽くして恋焦がれ、弁のおもとという玉鬘付きの女房にも、橋渡しをするようにせがんでいます。
九月になり、初霜が降りた風情のある朝に、女房たちが隠し持ってきた恋文を、玉鬘は見ることもなく、ただ読み上げられるのを聞き流しています。髭黒の右大将の文には「あなたとの結婚を頼みにしておりましたのに」などと書かれています。蛍兵部卿宮の文は、霜を落とさないように運ばれた笹に付けてありました。
朝日さす光を見ても玉笹の 葉分の霜を消たずもあらなむ 蛍兵部卿宮
朝日さす光に玉笹(笹の美称)の下葉の霜が消えてしまうように たとえ帝の寵愛を受けても儚い私の想いを忘れないでください
玉鬘は、蛍兵部卿宮への返事だけを短く書きました。
心もて光にむかふ葵だに 朝おく霜をおのれやは消つ 玉鬘
自ら進んで光に向かう葵さえも 朝置く霜を自ら消すでしょうか まして自ら望んで宮仕えするわけではない私が あなたを忘れるでしょうか
蛍兵部卿宮は、玉鬘からの文を珍しく見て、恋心を分かってもらえたような歌を嬉しく思うのでした。
***
「光る君へ」第39回、藤原伊周(三浦翔平さん)が亡くなった後、弟の隆家(竜星涼さん)が纏っていた喪服は、少しくすんだ薄紫色で、玉鬘や夕霧の衣も、このような色だったのかしらと感じ入りました。
藤袴にかこつけて告白する夕霧など、六条院の華・出仕を思い悩む玉鬘に群がる男性たちの動静が露わになります。朝日さす光たる帝、若きエリート夕霧、東宮の伯父である髭黒の右大将、優雅な蛍兵部卿宮、そして真打・光る君。恋を楽しめる女性なら、このモテ期を十二分に堪能できそうですが、玉鬘は悶々と悩みます。
玉鬘が安寧を得る場所は、いったい何処なのでしょうか?六条院では、実の父ではない光る君との関係を世間に邪推されているのが苦痛。内大臣の所にいけば、大勢の兄弟姉妹のなかで、所詮は近江の君のような低い身分であることが際立ってしまう。後宮で帝の寵愛を受けたとしたら、桐壺の更衣のように苛められるかもしれません。
玉鬘は誰の顔も潰さないようにしつつ、自分の好みにも忠実なようです。若く美しい夕霧でも、実の弟から従弟になったというややこしい事情があった以上に、光る君という美も情趣も権力も、ほぼ誰の追随も許さない大人の男性を間近にみた玉鬘には、恋の対象にはならないのでしょう。
蛍兵部卿宮へ返事をしたのは好みに合っていた以上に、身の振り方を自分では決められない、宮仕えは本意ではないことを伝えたかったから。なよなよと相手に頼るようでいて、時に手応えのあるやり取りをして男心を虜にした母・夕顔と、世間の風を省みずに光る君が隠遁した須磨を訪ねた実直な父・内大臣の気質が、娘の玉鬘にも伝わっているようですね。
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さて、「光る君へ」が最終回を迎えました。この機会に、小林先生よりゴー宣ジャーナリストとしてブログへのご用命を拝した今年4月にいただいたお言葉を披露させてください。
-男は左脳しか使えない者が多い、右脳が弱すぎると、感じます。論理を振り回して、屁理屈しか言ってない男ばっかりでうんざりです。天皇を捉えるのは論理のみでは無理で、そこで男系男子とか、染色体とかで理解した気になっています。右脳の直感力でオーラを感じた方が速いし、間違いないのに、論理で啓蒙するのは、限界があります。庶民は勉強してオーラを感じるわけじゃないし、論理で天皇に敬意を持つわけでもありません。もっと右脳を鍛えなきゃダメです。ちょうどタイミング良く「光る君へ」が放映されていて、おそらく女性人気に支えられているのだろうし、男性も興味を持っています。今こそ、右脳を鍛えるチャンスです。わしも古典は苦手だし、ぜひとも源氏物語の魅力を、まいこさんに語ってもらいたい。日本人の歴史感覚を甦らせましょう。-
愛子さまが「源氏物語」を書写して後世に残すことに多大な貢献をした藤原定家への恋歌で知られる歌人・式子内親王(1149-1201)をテーマに卒論をお書きになり、学習院をご卒業された年に始まった「光る君へ」。天皇陛下がご家族で御覧になっておられるという大河ドラマと共に、「源氏物語」を楽しめば、愛子さまの輝くオーラを感じられる右脳を鍛えることになるという小林先生の御慧眼に相和すかのように、「光る君へ」は、史実と「難き時代を乗り越えて」千年後の今も読める「源氏物語」のエピソードが巧みに織り込まれるなかに、女性天皇ゆかりの歌や地名がさり気なく登場していました。特に第46回で、愛子さま御生誕後の読書の儀で読み上げられた「日本書紀 推古天皇記」の蘇我馬子が推古天皇に奉ったお祝いの歌が披露されたことは、「愛子天皇への道」サイトでも大きな注目を集めました。
「愛子天皇」誕生を願う国民へのエールにもなっていた「光る君へ」が放映された年に、小林先生の描かれた『愛子天皇論』をもって全国各地で立ち上がった人々の皇統クラブ活動は、ネット上で、男系固執派の世間で、胡乱な左脳・論理しか使えないまま述べている言説など、実際に、生身の人間が右脳・感性で「愛子さましか勝たん!」と直感して「愛子天皇」賛成を表明すれば、もろくも崩れてしまうという素晴らしい成果を発揮し、いまや「男系男子とか、染色体」などと公然と言えば、恥になるという感覚が醸成されたように思います。
「光る君へ」放送開始以来、「え?道長の柄本佑さんが光る君?」「あ、一条天皇が光る君かしら」「いや本当の光る君は、まひろだ」など、「光る君」探しもドラマの楽しみの一つでした。大河ドラマのタイトルには「まひろにとっての光る君・道長へあてて恋文を書くように書かれた源氏物語」という意味も含まれているという解釈もあるとのことで、豊饒な物語によるドラマが進むにつれて、「光る君とは、それぞれの人にとって大切な輝く存在」であることが、明らかになってゆきました。
小林先生をはじめ、ブログにお寄せいただく方々の御言葉を読ませていただきながら、大河ドラマと「源氏物語」について語る中で、輝くオーラで遍く世を照らす愛子さまこそが「女性天皇」賛成の9割の国民にとっての「光る君」そのものであると、さらに確信できたことは本当に幸甚でした。
「光る君へ」は最終回を迎えたところで、現在、ブログは第三十帖目。古来より「須磨がえり」と言いまして、第十二帖「須磨」あたりで挫折する方が多いとされるなか、「源氏物語」の第一部・第一帖から三十三帖への到達まで、あと一息。宜しければ、第二部・四十一帖まで、さらに第三部・五十四帖までお愉しみいただけたらと思います。
美智子さまが皇后陛下でいらしたときにニューデリーで行われた国際児童図書評議会の基調講演をされたように、または天皇陛下が皇太子時代からご専門の水に関する講演を何度も行っておられるように、立太子された愛子さまが平安文学をはじめとした日本の文化について講演される日が必ず来るはず。その際にはきっと、皇統クラブ活動に勤しみつつ愛子さまもご愛読の古典の代表といえる「源氏物語」を最後までお愉しみいただいたことが、お役に立つことでしょう。
そこで、次回より「光る君へ」と読む「源氏物語」のタイトルを、~光る君へ~愛子さま立太子への祈念と読む「源氏物語」、とさせていただけましたら幸いです。これまでと同様に大河ドラマや平安文学、小林先生の作品の名場面などと共に、愛子さまのご活躍が全て日本の文化と歴史になってゆく様を、私たち国民の光る君へ恋文を書かせていただくかの如く「源氏物語」に織り交ぜて語りつつ、一日も早く愛子さまが立太子される日を迎えられますよう、さらに祈念してゆきたいと思います。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう>
第25回 第二十五帖<蛍 ほたる>
第26回 第二十六帖<常夏 とこなつ>
第27回 第二十七帖<篝火 かがりび>
第28回 第二十八帖 <野分 のわき>
第29回 第二十九帖 <行幸 みゆき>
夕霧の玉鬘への恋心、いじらしいですねえ。
しかも当の玉鬘にとってはそれが迷惑というか、重荷でしかなくて、全くつれなくされてしまうというところがまたせつないです。
『光る君へ』の絶妙のラストシーンの余韻は、ずっと残りました。このドラマも傑作として長く名を残すことになるでしょう。
そして、このドラマをきっかけのひとつとして始まった『源氏物語』を読み解くこのシリーズ、もちろん最後の五十四帖まで存分に楽しんでいきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします!