「光る君へ」と読む「源氏物語」第27回
第二十七帖<篝火 かがりび>
「光る君へ」の脚本を担当された大石静さんは「週刊文春WOMAN2024秋号」のインタビューに応えておられ「ガチガチの一夫一婦制は日本の風土にあまり合っていない」というサブタイトルの記事のなかで、「キャンセルカルチャー」をはじめ、「日本人論」を読まれているのかしらと思わせる文言を沢山お使いになり、文春の記者に向かって文春批判、熱弁を繰り広げていました。
https://bunshun.jp/articles/-/73524?page=2
日本のアイデンティティの核・文化そのものである天皇を戴くからこそ、不義密通・不倫を大きなテーマとする「源氏物語」でさえも、おおらかに受け入れられ、今も読むことでき、「光る君へ」という大河ドラマが放送されている。日本の長い歴史の何処かで「源氏物語」がキャンセルされていたら、文春も記事は書けません。
キャンセルカルチャーの嵐が吹き荒れるなか、果敢に刊行された「日本人論」と皇室がキャンセルされようとしているなか、描き続けられる「愛子天皇論」によって類まれなる日本の文化が守られていると改めて強く思う次第です。
今回は、恋の手練れが、その情熱を如何に扱うかをみてみましょう。
第二十七帖 <篝火 かがりび(夜に照明、警護のために焚く火 「かがり」は「輝り」の意ともいう)>
このごろ、世の人々が近江の君の噂をしているのを光る君は聞いて「とにもかくにも、人目に触れず籠っていた娘を引き取り、弘徽殿女御に仕えさせて人前に晒し、噂の的にしているのは納得できないことだ。内大臣は物事のけじめをはっきりとさせるあまりに、深い事情を調べずに連れ出して、心に叶わないからといって、こんな不当な扱いをするのだろう。何ごとも取り扱い次第で、穏やかにすむのに」と気の毒がっています。
「本当によくもまあ六条院に引き取られたものだわ。実の親と聞いていたけれど、内大臣の気性を知らないままに引き取られたとしたら、恥ずかしい目にあっていたかもしれない」と玉鬘は思い知り、右近も六条院にいられる幸運を諭すのでした。光る君の親心には、困った恋心も添っていますが、無体なことはせず、深い愛情が優るばかりなので、玉鬘は次第に心惹かれ、打ち解けてゆくのでした。
秋になり、光る君は、しばしば夏の町の西の対にいる玉鬘のもとを訪れて、一日を過ごし、和琴などを教えます。夕月夜が早く沈み、うす雲に覆われた空の景色や、荻の葉音が次第にしみ渡るようになり、二人は琴を枕にして、寄り添っています。
こんな男女の仲があるのだろうかと、光る君はため息をつきながら夜を過ごしていましたが、女房たちが咎めるのではないかと思い、帰ろうとしたところ、庭の篝火が消えかけていたので、御供をしていた右近大夫(左近衛府と共に武器を持ち宮中警護などを司る役所・右近衛府の第三等官で位階が五位の者)に明るく火を焚かせます。
篝火の光に映える美しい玉鬘。手に取って愛でてみた髪は、ひんやりとして気品があるのに、落ち着きなく恥ずかし気にしている玉鬘が可愛らしく、光る君は帰り難くなりました。
篝火にたちそふ恋の煙こそ 世には絶えせぬ炎なりけれ 光る君
篝火につれて立ち上る恋の煙こそ 決して絶えることのない炎、あなたへの想いなのです
行方なき空に消ちてよ篝火の たよりにたぐふ煙とならば 玉鬘
行くあてもない空で消してください 篝火につれて立ち上る煙のような恋ならば
「女房たちが怪しいと思うでしょう」と玉鬘が困っているので、光る君が帰ろうとすると、花散里のいる東の対の方から、美しい笛と箏の琴の合奏が聞こえてきました。「夕霧の中将が、いつも一緒の公達と遊んでいるのだろう。笛は柏木の頭中将に違いない。格別な音色だ」と立ち止まった光る君が使いをやると、三人の公達が連れ立ってやってきました。
光る君は、和琴を取り出して心惹かれるように弾き、夕霧の中将は笛をとても楽しく吹きます。柏木は、玉鬘を気にして歌い難そうにしているので、光る君が「遅い」と言うと、柏木の弟の弁少将が拍子を打ちながら忍びやかに歌う声が、鈴虫のように美しいのです。光る君が柏木に和琴を譲ってみると、名手である内大臣の爪音にほとんど劣らず、華やかで面白く弾くのでした。
「御簾の内に、楽の音を聞き分ける人がいるようですよ。今宵は、酒の盃も、あまり過ごさぬようにしましょう。私のように盛りを過ぎた者は、酔い泣きのついでに、言わないで良いことまで言ってしまいそうだから」と光る君が語るのを、玉鬘は切なく聞いています。
姉弟の間柄である公達を、玉鬘は人知れず気にかけているのですが、弟たちは実の姉とは思いも寄りません。柏木は、心の限りを尽くして玉鬘に恋しているので、こんな機会には忍び切れないような心地がするのですが、上辺は取り繕って、和琴も打ち解けて掻き鳴らしはしないのでした。
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篝火の火影に揺れ動くそれぞれの思いが、炙り出される帖です。原文はとても短いのですが、楽の音、玉鬘の髪の肌触り、篝火の煙にたくされた恋歌など、非常に研ぎ澄まされた感覚で描かれているように思います。
第二十五帖「蛍」の御簾の中で、あるかなきかに舞う淡い光りとは対象的に、御簾の暗闇の外から明々と内心のほてりを照らし出すかのように輝く篝火。自ら演出した明と暗の効果に中てられて、光る君の玉鬘への思いも、もうあとには引けないところまで来ているように見えます。
思わぬ客人を招いて、いましばらく玉鬘のところに留まる光る君。実の姉に恋する柏木を見て、光る君はただ楽しんでいたのでしょうか?むしろ柏木に己の姿をうつし、恋の熱を冷まそうとしていたのかもしれません。
「光る君へ」第36回、彰子(見上愛さん)の出産に伴って土御門院に参上したまひろは、後一条天皇となる第二皇子・敦成(あつひら)親王(1008-1036)が誕生した後、望月=満月を見ながら一人で祝盃を上げつつ歌を詠じていたところ、やってきた道長にその意を問われていました。
めづらしき光さしそふさかづきは もちながらこそ千代もめぐらめ まひろ
中宮様という月の光に皇子様という新しき光が加わった盃は、今宵の望月の素晴らしさそのままに千代も巡り続けるでありましょう
歌の意味するところを聞いて「良い歌だ 覚えておこう」と言った道長は、たくさんの篝火が焚かれる演出のもとで行われた五十日(いか)の儀(生誕五十日目の祝い)の際、「若紫はおいでかな」と言う公任(町田啓太さん)に絡まれていたまひろを手招きし、正妻・倫子(黒木華さん)を含めた衆目監視のなかで「歌を詠め」と所望します。
いかにいかがかぞへやるべき八千歳の あまり久しき君が御代をば まひろ
いかにして数えましょう 八千年あまりも久しく続く若君の御代を
あしたづのよはひしあらば君が代の 千歳の数もかぞへとりてん 道長
千年の鶴の齢さえあるならば 若君の千年の歳も数えとろう これからも長く一緒に時間を過ごせますように
「千代もめぐらめ」の歌を「八千歳のあまり久しき」に発展させたまひろと、「千歳の数もかぞへとりてん」と詠んだ道長との「琴瑟相和す」と言いたくなるナイスコンビネーション。
帝の心を捉える物語を描き、親王誕生に導いたまひろを人々に披露しつつ、狂おしいまでの思いがあふれ出てしまう道長は、娘として引き取った玉鬘によって兵部卿宮や実の弟・柏木の恋を焚きつけることに成功しつつ、かえって自らの恋の炎が燃え盛ってしまった光る君に重なります。
その十年後、倫子の産んだ威子(1000-1036)が後一条天皇の中宮として立后し、彰子(988-1074)が太皇太后に、妍子(994-1027)が皇太后となった際に誰もが知る有名なあの歌が詠まれます。
このよをば わがよとぞおもふ もちづきの かけたることも なしと思へば 道長
「このよ」は「この夜」、「もちづき」は三人の后を表し、「三人の后は望月のように欠けていない、よい夜だ」という意味で、まひろの「めづらしき光さしそふさかづきは もちながらこそ千代もめぐらめ」への返歌のように詠んだというのが、大石静さんの解釈のようです。
若き日の頭中将・内大臣を髣髴とさせる柏木。夕霧と柏木は、その父親たちのごとく良き友人であり、ライバルでもあるようです。内大臣が夕霧に辛くあたるのは、光る君を意識しているから。父親たちは巨大な存在になっても、何か張り合う気持ちを起こさずにはいられない。それは帝の血を引く源氏対藤原氏という敵対心なのか。それとも、若さという決して取り戻せないものへの羨望なのでしょうか。
後の帖で、光る君の恐ろしいまでの嫉妬がこの若きライバルに向けられてゆくことになります。
さて、「光る君へ」第40回「君を置きて」で、一条天皇は辞世の句を詠みました。
露の身の 草の宿りに 君をおきて 塵を出でぬることをこそ思へ 一条天皇
露のごとくの儚い我が身が かりそめの宿であるこの世に君をおいて去る悲しみを思ってください
一条天皇が臨終の際に思っていた「君」は、道長の日記・「御堂関白記」には中宮(彰子)、行成の日記・「権記」には皇后(定子)であると書かれています。
この辞世の句は、第十帖「賢木」で桐壺院が亡くなった後に藤壺と関係を持ってしまった光る君が、藤壺につれなくされたために雨林院に参篭し「なぜ自分は出家できないのか」と思うと、まず気にかかる紫の上に宛てて詠んだ歌を踏まえているという説があります。
浅茅生の 露のやどりに君をおきて 四方の嵐ぞ 静心(しずこころ)なき 光る君
浅茅生の露を置くような 儚い世に君をおき 四方の嵐の吹くたびに 私の心は乱れゆく
「光る君へ」第35回において、まだ一条天皇と結ばれていなかった彰子は「若紫」の帖を読み、まひろに「この娘はどうなるのだ」「光る君の妻になるのがよい」と自分を若紫・紫の上に、一条天皇を光る君に準えていました。さらに第36回で、「亡き皇后様(定子 高畑充希さん)は漢籍がお得意であったのであろう?」と言って、まひろから「新楽府」を学び始め、一条天皇に喜ばれるようになりました。
光る君の歌の「君」は、本当に愛する女性・藤壺と、藤壺の代わりに育てて妻にした紫の上を重ねており、この歌を踏まえて辞世の句が詠まれたとすれば、一条天皇の歌の「君」は、本当に愛していた女性・定子と、漢籍を学んで定子に近づこうとした彰子を重ねているように感じます。
紫の上を藤壺の身代わりにしている光る君を如何なものかと思われる方も多いようで、そうなると一条天皇の辞世の句も批判の対象になる可能性がありますが、彰子は「源氏の物語」を読み、藤壺のような定子というロールモデルかつ反面教師がいると気づいて努力したからこそ、国母としての立場を確立することが出来ました。
彰子にしても、道長やまひろにしても、生まれによって人はその立場にいるのではなく、その立場に相応しい刻苦勉励をもって己を育むことで、その立場に押し上げられ、維持し続けられるということも、「光る君へ」は描いているように見えます。そこから愛子さまをはじめとした皇室の皆さま方の研鑽の一端でも拝察できる右脳・感性を育ててゆきたいと思います。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう>
第25回 第二十五帖<蛍 ほたる>
第26回 第二十六帖<常夏 とこなつ>
前の帖の盛夏から季節は秋に移ろう中、篝火という舞台装置が巧みに使われた、非常に趣きの深い帖ですね。
篝火に照らされる玉鬘の美しさはまさに「陰翳礼賛」、それぞれの人物の心情も篝火のように揺れ動きつつ交差するというのも実に巧みで面白いです。
そして何よりも、篝火のように恋の炎が燃えているという光る君の歌に対する玉鬘の返歌のつれなさには、ちょっと笑ってしまいました。
残り僅かの『光る君へ』と併せて、この味わい深い世界を更に楽しみたいと思います!