三笠宮妃百合子さまの訃報が届いて以来、SNS上では三笠宮家内での「確執」をネタにした、「国民だからこそ許される自由」を最大限に満喫した妄想まみれの勝手な言説が飛び交っています。
これは、従来からある(様々な「派閥」に関係なく、総体的な観点での)「レジャーとしての皇室バッシング」の亜流であり、どなたに肩入れしているといったスタンスを問わず、反論する術を持たない皇族の皆様に好き勝手な言葉を投げつけ、満たされない己の心を慰撫しようとする非常に醜悪な行いです。
そんな、人間性の根幹を疑われるような行いさえ「許されて」いる国民は、なんと「幸福」なのでしょう。
日本国民は、皇室という存在に大きく「甘え」ながら、日々生活しています。
その俗情が己の中にもある事を認めつつ、その上で皇族の皆様が置かれている状況な心情などに、可能な限りの想像力を働かせる事は、階級の問題ではなく「人間としての礼儀」です。
その想像力を持ち合わせず、共感なきままにただ徒に皇室を「浪費」する者の言葉には、キーワードが「男系男子固執」だろうと「愛子天皇推進」だろうと、同じような違和感を感じます。
12/7開催イベントのタイトルである「愛子天皇と言える?言えない?」という言葉の本質は、「あなたには人間としての心、共感力があるのか?」という、この上なく鋭い刃物のような問いかけだと私は思っています。
「愛子天皇と言えない」者は、その理由を、伝統を偽装した男系カルトの常套句ではない自分の言葉で語れるのか?
少なくとも、全ての国会議員は、表面的な言葉・弁舌では繕いきれない、思想・人間性の奥底までがあらわにされてしまう匕首を喉元に突きつけられている状態です。
ポジショントーク的な男系男子固執も、自己のイメージだけを考慮した「女性、女系天皇容認」も、皇室を「浪費」するマインドという点は同一です。
一般国民であろうと、国会議員であろうと、それぞれの「個」がどのような「皇室と共にある未来」を望み、そのために動いていくかを、明確にせざるを得ない状況に至っています。
もう、皇室にダラダラと「甘える」のは止めて、大人としての意思を持って幸福な未来を追求して行きましょう!