ゴー宣DOJO

BLOGブログ
ちぇぶ
2024.11.4 13:18

広島ゴー宣DOJOの感想をご紹介します

広島ゴー宣DOJOの感想を紹介します。

・・・・

ukiさん

黄色人種に対する白人の罪を消すように洗浄された原爆資料館。
日常がむごたらしい地獄へとパッと転換されるさまはただひたすら凄惨でした。
でも、怒りが見えないことに、ずっともどかしい気分になっており、その旨を途中通路の優等生的感想ばかりの対話ノートにしたためましたが(でも、他の人が見てないかは気にするw)、

昨日の議論ではそれに応えるだけでなく、
では、どうすれば伝わるのか? 
どうすれば犠牲者の無念を晴らし、
混とんとした中で日本を生き残らせる方向へ向かわせられるのか?
の思想まで言及され、細部に至るまで満足しました。

 

ヨワシさん

よしりん先生がもっと原爆投下前の、広島を出すべきだ、というようなことを言っていたことです。
原爆投下が白人による差別からされたことであるのだから、日本人の文化度が高かったことは示すことは目からウロコでした。
また、切通さんの被爆者側、被爆者二世からみた視点も新鮮でした。
忘れてはならないのが、戦争論の動画です。かっこいいし、胸にぐっと来ました。

 

よっしーさん

小林先生が話された、
「2度も原爆落とされたのだから3度目は絶対に拒否するために、日本も核武装をする!」(このようなお話だったかと思います)
この理論が頭にこびりついています。

原爆の悲惨さをひたすら強調することで、2度と原爆を相手に使わせないようにしたくても、戦争になれば敵国にそんなセンチメンタルは通用しない。
いざ戦争となれば、原爆をチラつかせれば勝てると思えばドンドン原爆を盾に脅してくるだろうし、
相手が原爆持っていなければ尚更強気に出てくるでしょう。(ロシアとウクライナもそうですね)
そういう、情もへったくれもない覇権主義の相手と渡り合いながら、日本の自主独立を保っていくにはこの理屈しかないんじゃないか、と思えました。

木蘭さんが言っていましたが、オバマが広島に来ても、堂々と核のボタンを持参してきたわけで、
オバマはアメリカを代表して核廃絶を訴えるために広島に来たのではないことは明らかです。
世界の力の均衡は、原爆を持ってるかどうか?で決まっているのが現実なのでは?
だから原爆を持った北朝鮮は、破綻国家のくせにあんなに偉そうな態度が出来ているのですから。

3度目の原爆を絶対に日本に落とさせないために、2度と原爆による悲惨な被害に日本人が合わないために、至急日本の核武装を検討するべき。

 

黒アリさん

「日本は、3発目の核を落とされない為に、核を持ち、そして、常任理事国になる。」これを我々、日本人の常識にしなければなりません。原爆で、命を奪われた祖先達の為に。平和を祈る皇室の方々の為に。そして、これから生まれてくる子孫達の為に。

 

だふねさん

昨日早朝、広島駅に到着した後、資料館へ向かいました。写真や絵、遺品が伝える原爆投下直後の地獄は、確かに目を覆うような悲惨さ。理不尽に日常を奪われ命まで落とすことになった、一人一人の人生を偲ばせる。その構成は、より自分や家族の身に置き換えざるを得ない。そこは正直なところ私もこみ上げるものがありました。

しかし、36年前に訪問した時は、もっと大勢の死者たちの這いつくばるような呻き声が、音を伴わない塊になって、資料館全体を覆っていたような。悔しさや無念さなど、綺麗好きな人たちが思わず顔をしかめるような、有無を言わせない「負」の迫力を感じた記憶があるのに。言うなれば、今の資料館が伝えたいものは、美しくパッケージされた「悲惨さ」ではないのかと。

他に強烈な違和感の一つに、資料館を訪れる外国人(ナニ人かはわからない)が、展示写真の「死体」を外国人が涼しい顔で撮影していたこと。何の使命感もないくせに、スマホでお手軽に「死体」を収めてもいいのか? 私は「お天道さまが見ている」気がするから、人の「死体」をそのように扱うことはできない。その感覚・常識の違い。瞳の色素の薄さがそのままその人の酷薄さを表しているようで(偏見が大分混じっているでしょうが)、ゾッとしました。

原爆はアメリカが引き起こした戦争犯罪であり、日本人に対する差別心が極まった形での暴挙である。もっとそこに怒りを覚え表現し、抵抗するだけの底力(小林先生によるベトナム人の話は圧巻)を、先人の声なき声に耳を傾け後世に伝えていく資格を、我々日本人は持っているのか。

これは質問しようか迷ったことですが、もし日本のどこかの都市に「3回目の原爆」を落とされたとして、それでも日本人は怒らないと思うか? 例え怒ったとしても、すぐに引っ込めてしまうのか。そこまで問うて関心を掻き立てなければ、もはや誰も戦争そのものについて真剣に考えようとしないのかと。

もうすぐ戦後から80年経ちます。戦後民主主義に奪われたもの。その大きさを、私もまだ思考が雑然としており、把握できません。日本人の精神性の喪失か? 最後に残された希望は天皇と皇室しかないのでは? 日本人が歴史を顧みなくなった事実を受け入れつつ、それでも時代に合わせた形で守ろうとしている場所はそこしかない。ごくシンプルですが、その考えに至りました。

・・・・

感想をまだまだお待ちしています!

こちらの掲示板に、ぜひお書きください。

https://aiko-sama.com/archives/45827#comments

 

ちぇぶ

次回の開催予定

INFORMATIONお知らせ