「光る君へ」と読む「源氏物語」第25回
第二十五帖<蛍 ほたる>
「光る君へ」第33回は、物語執筆の褒美として道長が檜扇をまひろに与える際に、かつて「鳥が逃げてしまったの。大切に飼っていた鳥が」「鳥は鳥かごで飼うのが間違いだ。自在に空を飛んでこそ鳥だ」という言葉を交わした幼き日の二人が出会う回想シーンが流れました。檜扇にはその二人の出会いが描かれており、各人の才能を見抜いて男女問わず重用できる為政者の資質と空想を形にできる才能が、「源氏物語」によって華開くさまが見えるようでした。
また「自在に空を飛んでこそ鳥だ」という台詞からは、「戦争論」ラストの名言「自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?それを大事にする心を育てよう」を思い起こしました。物語執筆で生きる意味を見つけたまひろは、プロフェッショナルとしての刻苦勉励という束縛をもって、より自由になってゆくのかもしれません。
今回は、あるかなきかに明滅する想いと、1000年前の物語論についてみてみましょう。
第二十五帖 <蛍 ほたる(暗き場所にて光る虫 玉鬘の歌と本文から)>
玉鬘は世間的には父と見なされている光る君に言い寄られて悩み続けています。恋を打ち明けて光る君も悩み深くなっていますが、人目があるときは想いを言葉にはできず、玉鬘の部屋に足繁く通っては、女房がいない時には直情的に迫ります。光る君の想いに気づかないふりで用心深くしていても玉鬘はやはり可愛らしく、こぼれんばかりの愛想の良さなのでした。
兵部卿宮は五月雨(さみだれ 梅雨)の頃、「もう少し近くに寄ることを許してもらえたら、思うことの片端でも伝えて心が晴れるのに」という恋文を玉鬘に届けます。文を読んだ光る君は「こういう方たちが、あなたに思いを寄せるのは見どころがありますね」などと言って、宰相の君という女房に代筆の返事を書かせ、兵部卿宮が言い寄るところを見たいと思っているようです。玉鬘は兵部卿宮に惹かれてはいませんが「結婚したら光る君の困った振る舞いも見ないですむのかしら」とも思うのでした。
光る君が待ち構えていると知らない兵部卿宮は、玉鬘から色よい返事があったので喜んでやってきます。妻戸(寝殿造の両開きの扉)の内側にある廂の間(母屋(もや 寝殿造の中央部分)の外側に長く張り出した屋根の下の一間(約1.8m)ほどの空間)に茵(しとね 座布団)を敷き、几帳(きちょう T字の柱に帷子(かたびら 薄絹)を下げた間仕切り)だけを隔てにして、兵部卿宮は玉鬘の近くに通されました。光る君が空薫物(そらだきもの 前もって、もしくは別室で焚く香 どこからともなく漂うのが良いとされる)を匂わせて世話をするのは、女房たちには親の愛情と思われていますが、兵部卿宮への玉鬘の返事の取次をする宰相の君は、まごついていると光る君に指先でつねられて困っています。
夕闇が過ぎて、あるかなきかの新月の昇る空に雲がかかるなか、恋に悩む兵部卿宮は優美で風情があります。几帳の内側から、光る君の衣の香りも添えた深い薫りが満ちて、いよいよ心惹かれた兵部卿宮が恋を連綿と語る雰囲気は並の人とはやはり違います。
東側の廂の間でやすんでいる玉鬘に、光る君は宰相の君に言づけて、もっと兵部卿宮の近くに寄るよう諭します。こんなことを口実にして光る君が近くに入ってきそうなので、玉鬘はそっとその場から離れて母屋との境に立てた几帳の傍へ横になりました。
恋を語る兵部卿宮に玉鬘が返事もしないでいると、光る君が近づいて几帳の帷子を一つ上げ、さっと光るものを放ちます。光る君は兵部卿宮を惑わそうと、夕方、たくさんの蛍を薄衣に包んでおいたのでした。突然の光に照らし出され、驚く玉鬘が扇で隠した横顔の美しさ。兵部卿宮はすっかり心を奪われてしまいます。
鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに 人の消つには消ゆるものかは 兵部卿宮
鳴く声も聞こえぬ蛍の光さえ 人は消せはしないのに 私の恋心を消すことなどできるでしょうか
声はせで身をのみこがす蛍こそ 言ふよりまさる思ひなるらめ 玉鬘
声はなく身をのみこがす蛍こそ 言葉を尽くすあなたよりもまさる思いがあるのでしょう
さりげなく返歌をして奥へ入った玉鬘のつれなさを恨みながら、兵部卿宮は五月雨に濡れつつ夜も深いうちに帰ってゆきました。
五月五日(新暦で六月上旬)の節句には、左近衛府(さこんえふ 右近衛府とともに宮中の警固、行幸の警備をする役所)で行われた競射(きょうしゃ 弓を射て競う試合)のついでに、夕霧が友人たちを連れて六条院の花散里の住まう夏の町にやってきました。殿上人や親王、舎人(とねり 天皇・皇族などの身近に仕える下級役人)が集まり、打毬楽(だきゅうらく 雅楽 馬上から打毬杖で毬を毬門に早く入れる競技に貴族たちが打ち興じるさまを模した曲で4人の楽人が舞う)など、様々な遊びをしているのを六条院の女性たちは見物し、夜が更けてから人々は帰ってゆきました。
その夜、夏の町に泊った光る君が、昼間の遊びに参加していた兵部卿宮について「他の人よりも、ずっと優れていますね」などと言うと、花散里は「あなたの弟君なのに老けて見えますね」と応えます。晴れやかな催しが夏の町で行なわれて嬉しく思っている花散里ですが、御帳台(みちょうだい 寝殿造の母屋に設えた正方形の台の上に畳を敷き、四隅に柱を立て帳 を垂らした調度。寝所または座所)を光る君に譲り、几帳を隔て、夫婦として寝所を共にするのは、もう似合わないと思っています。
五月雨が例年よりも長く続き、六条院の女性たちは絵物語(えものがたり 挿絵のある物語)などを読んで暮しています。玉鬘は、筑紫や肥前にいたので物語が珍しく、読んだり書き写したりしながら、様ざまな人の身の上など、嘘か真か、いろいろと書き集めてあるなかでも「私のような有り様の物語はないわ」と思います。
「住吉物語(すみよしものがたり 「源氏物語」や「枕草子」に題名が登場する散逸した物語。鎌倉時代に成立した現存の物語は改作といわれる。主人公の姫君は求婚者が現れ幸福になろうとする度に継母に阻まれるので家出し、実母の住吉の尼を頼って身を隠すが、長谷観音の利益で求婚者の少将と結ばれる。継子(ままこ)いじめの物語の代表作)」は人気の物語で、玉鬘は、姫君が継母の差し向けた男に盗まれそうな場面を、肥前国から逃れた際の大夫監の恐ろしさと比べたりしています。
光る君は、六条院のどこに行っても物語が散らばっているのを目にして、玉鬘に「物語は神代より、世に起きたことを書き記したもので『日本記(日本書紀)』などに書かれているのは、ほんの一面のことなのですよ。物語にこそ道理にかなう詳しいことが書いてあるのでしょう」などといって笑います。
「物語は誰かの身の上を有りのままには書かないけれど、良いことも悪いことも、この世に生きている人の有り様の、見ても見飽きず、聞いても聞き過ごせなくて、後の世にも言い伝えたいことを、心にしまっておけずに書き残したのが始まりなのです。登場人物を善く言おうとして善いことばかり選んで書いたり、読者の要望に応じて有りそうもないような悪いことを集めて書いたり誇張はしていても、それぞれ皆、この世の他のことというわけではないのです。唐土の物語は我が国とは書き方が違っていますし、我が国の物語でも昔と今では変わっていて、内容に深さ浅さの違いもありますが、全くの作りごとと言い切ってしまうのは間違っています。御仏が尊い心で説かれた御経にも方便があって、悟りを得ていない者は経文のあちこちの違いに疑いを抱くかもしれませんが、煎じ詰めれば一つの主旨で説かれていて、悟りと迷いの隔たりとは物語の中の善人と悪人の隔たりくらいの違いなのです。よく言えば全て何ごとも無駄なものはないのですよ」と光る君は物語を本当に格別なもののように論じました。
「ところで古い物語の中に私のような律儀な愚か者はいますか。何かの物語の冷淡な姫君でも、あなたのようにつれない人はいないでしょう。さあ私たち二人を類なき物語にして世に伝えましょう」と光る君が近寄って言うので「そうしなくても、こんなに珍しい関係は世間の評判になってしまうでしょう」と玉鬘は応えます。
光る君は息子の夕霧を紫の上には近づけないようにしていますが、自分の死後のことも考えて明石の姫とは遠ざけないように御簾の内に入るのも許しています。夕霧は明石の姫と人形遊びなどをするたびに、雲居の雁を思い出して涙ぐんでいますが、別れさせられて辛かった時に内大臣に反省してもらおうと決心しているので、表向きは焦った様子は見せず、内大臣の長男・柏木から玉鬘との仲立ちを頼まれても応じようとしないのでした。
内大臣は娘・弘徽殿女御が中宮になれず、雲居の雁も東宮に嫁がせられずに悔しがっています。夕顔の娘のことは息子達にも伝えていましたが会えないままで、光る君などが娘を大事に育てていると聞いては、自分は思い通りにならないと残念に思います。あるとき夢を見たので占いをさせてみると「長年、忘れていたお子様が、誰かの子になっていると聞いたことはありませんか」と言われたので「どういうことだろう」と考えたり、話題にしたりしているようです。
***
御簾の向こうの暗闇からふいに、あるかなきかの蛍の光に浮かびあがる美しい玉鬘。「源氏物語」の中でも光彩を放つ場面は、まさに「陰影礼賛」。けざやかに隈なく照らすのではなく、朧に明滅する儚き光が作り出す陰翳の美。明らかになっているところよりも、そうではないところに思いを馳せる日本人の感性は「言ふよりまさる思ひなるらめ」と詠んだ玉鬘の歌にも表れているように思います。
「枕草子」には、左大臣・道長と通じていると誤解された清少納言が自宅に引き籠っている時に、定子が「言はで思ふぞ」と書いた山吹の花びらが、宰相の君という女房によって届けられたという記述があります。
心には下ゆく水のわきかへり 言はで思ふぞ言ふにまされる 詠み人知らず 古今和歌六帖
心には地下水が湧きかえるように 言わぬままの思いが溢れていて 口に出す言葉よりも優っているのです
「言ふよりまさる思ひなるらめ」と「言はで思ふぞ言ふにまされる」は同義。さらに山吹襲(表地は朽葉 (くちば 赤みを帯びた黄色) 、裏地は黄)の鮮やかな衣装の似合う玉鬘と山吹の花びら、さらに取次役はどちらも宰相の君。
「光る君へ」で、まひろは物語を書く前に、ききょうの書いた「枕草子」を熱心に読み込んでいました。読者を夢中にさせる既存作品のオマージュを込める手法が「源氏物語」に使われているように感じます。
「物語は神代より、世に起きたことを書き記したもので『日本記(日本書紀)』などに書かれているのは、ほんの一面のことなのですよ。物語にこそ道理にかなう詳しいことが書いてあるのでしょう」という光る君の語りは、「紫式部日記」に記述された一条天皇の「この人は、日本記(日本書紀)の講義をしたらいいだろう。まことに才(漢才 かんさい 漢文や漢詩についての学識)がある」との言葉から「(才をひけらかす)日本記の御局」と同僚から呼ばれたことへのリベンジのように見えます。
「源氏物語」は「新楽府」などの漢籍を踏まえた描写や年代記の側面もあるため、漢文で書かれた「日本書紀」を一条天皇は想起したのでしょうか。中宮彰子に「新楽府」の講義をする一方、「乙女」の帖で「漢才(かんさい 漢文や漢詩についての学識)を元にしてこそ、大和魂(やまとだましい 日本人固有の知恵・才覚または思慮分別)、我が国に見合った実務上の才覚が世の役に立つでしょう」と光る君に言わせた紫式部は、「源氏物語」によって、漢才による知性(左脳)以上に、実人生に活かせる感性(右脳)を育てられると自負しているのかもしれません。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう>
暗闇の中に蛍の光だけによって浮かび上がる玉鬘の美しさ。
これは、現代の映像技術をもってしても表現できないものではないでしょうか?
そして、物語の中で物語の登場人物に物語論を語らせるという、いわば「メタ構造」のようなことを1000年前にやっていたということにも驚かされました。
物語を全くの作り事として軽んじるのは間違いであり、物語だからこそ伝わる真実があるというのは、全ての事象に共通することであり、原爆の悲惨さを伝えるということにも通じるのではないか、とも思いました。