石破茂首相が天皇陛下から首相に任命される前の
9月30日の記者会見で自民党総裁として事実上、
衆議院の解散を宣言した。
これに対して立憲民主党の野田佳彦代表が早速、
憲法違反の疑いを唱えた。これをどう捉えるか。
そもそも憲法第69条(衆議院で内閣を信任しない決議が
可決された場合、衆議院を解散しない限り内閣は
総辞職しなければならない)以外のケースで、
第7条(天皇の国事行為として衆議院解散などを列挙)を
根拠として内閣が恣意的に解散を決めることには、
かねて疑義が呈されている。通説は、天皇の衆議院解散宣示の「助言と承認」
を行う内閣が解散権を持つとする。
しかし、天皇の国事行為が形式的·儀礼的な性格を持つ以上、
そこから実質的な決定権を導くのは論理上、
無理があることが指摘されている。又、憲法が議院内閣制を採用していることも
根拠に挙げられる。
だが、議院内閣制の在り方も多様なので、
そのことから内閣が発動の条件を法的に
制約されない解散権を持つという結論には、飛躍がある。結局、内閣が国会に対してだけでなく、
選挙民に対しても責任持つので、政策の当否について
民意を問う機会を機動的に設けられるから、
というある種、実利的な理由付けで正当化されているのが、
現状だ。その場合も、党派的·派閥的な濫用を許さない
政治的慣行の成熟が必要との指摘がなされている。69条以外の場合における衆議院の解散については、
首相が有利なタイミングで自由に行うことが
できるのであれば、野党や与党内の非主流派に対して
強力な武器になることから、民主主義を歪める危険がある。それも、あくまでも「解散権が“内閣”にあるのか」
という問題であって、政権与党の党首とはいえ、
まだ天皇陛下から内閣総理大臣に任命されていない者が
事実上、衆議院の解散を宣言することは、更に不適切だろう。衆議院の解散の“主体”は勿論、形式的·儀礼的であっても、
天皇陛下であられる。その天皇陛下の国事行為に
「助言と承認」という形で関与できるのは、
あくまでも内閣の長である内閣総理大臣であって、
政権与党の党首ではない(!)。よって、立民党の野田代表が憲法違反の疑いを
指摘したのは当然だ。その上、内閣総理大臣の任命自体も
天皇陛下によってなされる国事行為。
なので、いまだ内閣総理大臣に任命されて“いない”者が
衆議院の解散を表明するのは、天皇陛下による
首相任命という重大な国事行為を、
蔑ろにするものと言う他ない。単に非礼·不敬という以上に、
憲法秩序の根幹を毀損する振る舞いだ。【高森明勅公式サイト】
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