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2024.9.24 07:00ゴー宣道場

「光る君へ」と読む「源氏物語」第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>byまいこ

「光る君へ」と読む「源氏物語」第21回
 第二十一帖<乙女 おとめ>

 

「光る君へ」第30回は、京が干ばつに襲われました。200年ぶりに帝によって行われた雨乞いには効果がなく、陰陽寮の務めを退いた安倍晴明に、道長が自分の寿命10年と引き換えにして雨乞いを行わせた場面は鬼気迫り、政および世代交代の困難さも垣間見ることができました。

今回は、次世代が立ち現れてくる様子をみてみましょう。

 

第二十一帖  <乙女 おとめ (五節の舞姫を表す歌語・和歌に用いられる言葉や表現)

新しい年となり、藤壺の尼宮の一周忌も過ぎました。朝顔の君への想いが尽きない光る君は、朝顔の君の叔母・女五の宮へも便りを欠かさないようにしています。朝顔の君は、周囲の人々が手引きしないかと不安ですが、光る君は、無理に事を運ぼうとはしないのでした。

光る君の息子で祖母の大宮(故・太政大臣の妻)に育てられた夕霧は12歳で元服し、位階は四位になると思われていました。光る君は大宮に「名門に生れ、思いのままの官位になると、時勢が変われば人に軽んじられてしまいます。漢才(かんさい 漢文や漢詩についての学識)を元にしてこそ、大和魂(やまとだましい 日本人固有の知恵・才覚または思慮分別)、我が国に見合った実務上の才覚が世の役に立つでしょう」と言い、夕霧を六位にして、大学寮(だいがくりょう 文官の人事を扱う式部省の直轄の官僚育成機関)に入れました。

浅葱(あさぎ 緑がかった薄い藍色 六位の人が着用する色)の袍(ほう 襟を丸く仕立てた上衣)を着た夕霧は、学問の造詣深い師に預けられ、二条の東の院に設けられた部屋で、とにかく早く出世しようと勉強にはげみ、擬文章生(ぎもんじょうしょう 大学寮で詩文(漢詩と漢文)や歴史を学び、寮試に及第した者 文章生になるにはさらに試験がある)をはじめ、大学寮の試験に全て合格します。光る君は漢詩の会を催すなどして、それぞれの道で才能のある人が現れる時代なのでした。

その頃、冷泉帝の中宮に斎宮の女御が立ちました。光る君は太政大臣になり、もとの頭中将は内大臣となります。(第十九帖「薄曇」で「秋の夕暮れこそ、儚く亡くなった母のゆかりになると思われます」と応え秋に思いをかける中宮を以後は「秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)」と呼びます)

弘徽殿の女御が中宮になれず悔しくてならない内大臣には、もう一人、かつての妻で皇族の女性が産んだ14歳の姫君がいて、夕霧と共に大宮に育てられていました。二人が10歳を過ぎた頃には、離れて過ごすようになっていましたが、いつの間にか、どんな仲になっていたのでしょうか、二人が交わした恋文を目にした女房たちは、見て見ぬふりをしているようです。

時雨が降る夕暮に、内大臣は大宮を訪ね、姫君を東宮妃にする意向を伝えます。箏の琴を弾かせてみると、姫君はとても可愛らしく、内大臣も和琴(わごん 雅楽の日本古来の歌舞に用いる6弦の琴)を弾いているところに、夕霧がやってきました。内大臣は姫君を部屋に帰しますが、女房たちは「気の毒なことが起こりそうなお二人の仲ね」と噂しています。

大宮のもとから帰るふりをした内大臣は、ある女房のもとに忍んでゆき、そっと部屋から出てくる際に、ひそひそ話を耳にして、二人の仲を悟ってしまいました。怒った内大臣は大宮を責め、姫君を引き取ることにします。

こんな騒ぎを知らずに訪ねてきた夕霧に、大宮は「あなたのことで、内大臣が恨み言をいうので、とても困っています。これからは気をつけなさいね」と伝えました。夕霧は悲しく、人々が寝しずまった頃に仕切りの戸を引いてみると錠がかけられています。姫君も目を覚まして「*雲居の雁(くもいのかり)もわがごとや」と独り言をいう気配が可愛らしいのでした。(この言葉から姫君を「雲居の雁」と呼びます)

*霧深く雲居の雁もわがごとや 晴れせずものは悲しかるらむ 出典不詳
(霧深く雲のたなびく大空を渡る雁は 私のように晴れぬ思いに悲しんでいるのだろうか)

とうとう雲居の雁が内大臣の邸に引き取られることになり、夕霧の乳母である宰相の君は、内大臣が夕霧を軽んじていると腹を立て、大宮にも上手く言い繕って、二人を逢わせます。「なぜ逢える時に、もっと逢っておかなかったのだろう」と嘆く夕霧に「私も同じ気持ちよ」と応える雲井の雁。二人が一緒にいるのを見つけた雲居の雁の乳母は「いくら立派な人でも六位なんかではね」などと呟き、夕霧は侮られたと恨めしく思うのでした。

光る君は今年、五節の舞姫を出すため、今は摂津守(摂津の国の長官)で左京大夫(さきょうのだいぶ 京の司法、行政、警察を担う行政機関・京職のうち、左京に置かれた左京職の長官)となった惟光の美しい娘が召されることになりました。二条の東の院にいる花散里や、秋好中宮は衣装を用意し、光る君は舞姫の下仕えをする女童を選んだりしています。

雲居の雁のことで気落ちしている夕霧は、心慰められるかと部屋から出て、屏風を立てたところに舞姫が休んでいるのを見つけました。「以前から、あなたのことを思っていました」と夕霧は声をかけますが、舞姫は心当たりがありません。

光る君は宮中で五節舞を見て、父の任官に伴って筑紫に行ってしまい、今は京に戻っているかつての五節の舞姫を思い出し、文を遣わしました。

乙女子も神さびぬらし天津袖 ふるき世の友 よはひ経ぬれば 光る君
乙女だったあなたも年を重ねただろうか 天の羽衣の袖を振った舞姫の友だった私も年老いたのだから

かけて言へば 今日のこととぞ思ほゆる 日陰の霜の袖にとけしも 筑紫の五節
御言葉をかけていただくと 日陰の霜がとけるように あなたに心を許したのが 今日のように思われて 

惟光の娘は、五節舞の後に典侍(ないしのすけ 後宮の内侍司の次官)として仕えることになりました。夕霧は残念に思い、娘の兄に文を託します。娘が兄と二人で文を見ていると、惟光がやってきて怒りますが、相手が夕霧ときくと機嫌を直し「私も明石の入道のようになれるかもしれない」と期待をかけています。

夕霧は、雲居の雁にも惟光の娘にも会えないまま、勉学に励みました。先が長くない大宮の代わりとして、夕霧の後見を光る君から頼まれた花散里は、優しく世話をします。夕霧は花散里の姿を垣間見て「容貌は美しくないのに、父君は思い捨てにならなかったのだ」「こんな風に心映えの柔らかな人と想い合いたい」などと思っています。

年が明けて二月二十日頃、朱雀院への行幸があり、光る君も参上します。帝の衣と同じ赤色の袍を光る君が着ていたので、二人は瓜二つに見えます。その日は、庭の池に浮かべた船の上で、大学寮の学生十人が式部省の試験を準えた詩文を作りました。

「春鶯囀(しゅんのうでん)」が舞われると、朱雀院と光る君は、桐壺帝の御代の花の宴を思い出します。夜が更けて、帝は帰りがけに弘徽殿の大后のいる御殿に光る君と共に立ち寄って挨拶をします。大后はとても喜び、光る君が世を治める宿世は、どうしても消すことはできなかったのだと後悔するのでした。朧月夜の尚侍も、昔のことをしみじみと思い出していて、光る君は折に触れて、文を出すのは絶えていないようです。

夕霧は、素晴らしい詩文を作って、文章生(もんじょうしょう 大学寮で詩文、歴史を学ぶ文章道を専攻した学生)になり、位も従五位に上がって侍従(じじゅう 天皇に近侍する官職)となりました。雲居の雁のことは忘れていませんが、内大臣が厳しく見張っているので、時おり文を交わすだけの二人なのでした。

光る君は、秋好中宮が受け継いだ六条御息所の邸の周辺、四町(約252m四方 総面積約6万3500㎡ 東京ドームは約216m四方 総面積4万6755㎡)ほどに、新しい邸を造営し、明石の君なども集めて住まわせる心づもりをしています。

翌年の八月、六条院と呼ばれる邸が完成、35歳になった光る君は、四つの町を、それぞれに住む女性たちの好みに合わせて造らせています。西南の町は、もともと秋好中宮が受け継いだ邸があったところで、秋の風情を楽しめる場所に。東南の町は、光る君と紫の上の住まいで、春の草木をふんだんに集めています。東北の町は、花散里の住まいで、馬場と涼しそうな泉がある夏のたたずまい。西北の町は、明石の君の住まいで、御倉町(みくらまち 財物を収めた倉の並ぶ区画 工房の役目もある)と、たくさん植えた松に積もる雪で冬風景を楽しめるようにしてあります。

九月になり、秋好中宮は硯箱の蓋に紅葉などを載せ、歌を添えて紫の上に贈りました。

心から春まつ園はわが宿の 紅葉を風のつてにだに見よ 秋好中宮
春を好む心で遠い春を待つ庭は わが庭の紅葉を風の便りにでも御覧ください

紫の上は硯箱の蓋に苔を敷いて小石を岩に見立て、精巧な造り物の松の枝に歌を結んでお返しをします。

風に散る紅葉はかろし春の色を 岩根の松にかけてこそ見め 紫の上
風に散り色変わる紅葉は軽々しきもの 春の風情を岩に根ざす常盤の松に見ていただきたいものです

明石の君は、全ての女性が移り住んでからひっそりと、十月になってから六条院の冬の町に移ります。光る君は、明石の姫の行く末を考えて、明石の君を重々しく扱うのでした。

 

***

亡き葵上の産んだ夕霧が、光る君と同じく12歳で元服しました。「源氏物語」で、夕霧が大学寮の試験に臨むために学問の造詣深い師に預けられる描写は、「光る君へ」で道長の長男・田鶴(たづ 後の藤原頼通)君が為時(岸谷五郎さん)の指南を受ける場面に反映されているように思います。

夕霧があっという間に合格した擬文章生に、学問が苦手なまひろの弟・惟規(のぶのり 高杉真宙さん)が苦労してようやくなれたことや、父・為時が受領として赴任できない間の収入源として漢籍の知識を活かすといった紫式部の家族の実情が「源氏物語」に描き込まれ、さらにドラマでリアルに立ち上がってくるのも興味深いです。

大和魂(この言葉が文献に初めて登場するのが今回の「源氏物語」乙女の帖)を発揮する元となる漢才を備えるため、大学寮に入れられた12歳の夕霧は、どうやら元服前に雲居の雁と関係しており、惟光の娘にも声をかけるなど、恋にうつつを抜かした光る君と同じ要素は、やはり持っているよう。

夕霧が早く出世したいと思ったのは、浅葱色の袍によって六位の身分が一目でわかり侮られるから。四位以上の袍の色は黒、五位は赤。「光る君へ」で、朝政に参加している公卿は四位以上なので黒ずくめですし、為時が従五位下となった際は、赤の束帯(そくたい 袍)を宣孝(佐々木蔵之介さん)に借りて道長に挨拶に行っていました。

大河ドラマの六位の袍は、鮮やかな緑色で表現されていて、第34回は、惟規が六位の蔵人に出世し、父・為時の着ていた袍でまひろの職場・藤壺を訪ねていました。まひろの同僚・大納言の君をみた惟規の「さっきの女房、悪くないな。六位の蔵人じゃ相手にされないか」というぼやきは、雲居の雁の乳母にまで侮られた六位の袍を着た夕霧の嘆きが重なります。

弟のぼやきに「惟規には身分の壁を越えて欲しいの。私の夢よ」というまひろの言葉のごとく、惟光が「明石の入道のようになれるかもしれない」と期待するのは、光る君の係累として「身分の壁を越える」庶民にとっての夢。その夢を叶えた明石の君は、ついに光る君の造営した六条院の一角を占めることになりました。

六条院のモデルの一つが、倫子の父・源雅信が造営し「紫式部日記」に描写された彰子の出産が行われた土御門院。東京ドームよりも広大な四つの町には数多の女房も仕え、その家族の生活も支えたことでしょう。「おぼっちゃまくん」の御坊家の邸のごとく、途方もなく壮大な六条院、帝になれなかった光る君の夢の実現・疑似後宮は、さらに光と影のドラマを織り成してゆきます。

 

【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも> 
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>

 


 

 

『光る君へ』では、ついに彰子が皇子を出産。
しかし一方では藤式部・まひろと道長の関係がバレ始めて、先行きが不穏になってきています。

そんな中、「文春オンライン」に脚本家・大石静氏のインタビューが掲載されました。
https://bunshun.jp/articles/-/73524?page=2
「ガチガチの一夫一婦制は日本の風土にあまり合っていない」として、「キャンセルカルチャー」という言葉も使って文春の記者に向かって週刊文春の批判をするなど、非常に興味深いものになっています。
ぜひこちらもお読みください!

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