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大須賀淳
2024.9.6 11:23その他ニュース

報酬獲得と消費のあけくれ

最近、ネットニュースなどのサイトを観ていると、静止画でも一定時間表示しないとコンテンツを読めないタイプの広告が増えましたね。

 

これはTVのCMやYouTubeの動画広告と同じ構造なので(静止画にという発想の転換を除いて)新しいものではないのですが、多くの広告で表示される「◯秒後に報酬を獲得できます」という言葉が、妙に面白くてたまりません。

 

そう、「広告モデル」のメディアって、「無料」という表現は正確ではなく広告を視聴することで「メディアが広告料を得るという商行為」に協力し、その「報酬」としてコンテンツを視聴する権利を得る、という事なんですよね。

 

しかも複雑なのは、広告は多くの場合「消費したい願望を喚起」するために作られているので、元々の記事や番組を「消費したい」という欲望を叶えるために、さらに(広告視聴という)消費の欲望を焚きつけられる行為を行う義務を課される、という、何重にも入り組んだ欲望と消費の入れ子構造となっています。

 

紙の書籍なども含めた有料のコンテンツを購入するのに比べ、広告モデルのコンテンツというのは根っこの部分に「バブル性」を抱えています。広告モデルが無ければ、民放のTV・ラジオや大多数のネットメディアは成立しませんし、実は有料の雑誌や新聞も、多くは広告掲載がないと、現在のような価格での販売は不可能です。

 

これはある種、「形があやふやな価値」を扱うことは混乱や破滅につながる危険とうらはらという意味において、手元資金の何倍もレバレッジをきかせて運用できるFXや先物なんかの相場取引に似ている部分もあります。「メリット」としては、「資産」や「コンテンツの数」を、直接的な方法よりも早く、膨大に増やせる可能性を持つ、という側面があります。

 

その一方、相場取引が招くクライシスが一瞬で膨大な負債が出て破産することなら、広告モデルのメディアは視聴・アクセスを促すためのセンセーショナリズムが暴走し、コロナ禍におけるようなインフォデミックや、人民裁判的なキャンセル・カルチャーなど、社会の分断と劣化を推し進める動きを大きく後押ししてしまうケースが少なくありません。

 

現代に生きる我々は多かれ少なかれ、報酬を与えられ消費し、また報酬を得ようとする循環構造の中にハマっており、そこから完全に抜け出すのは難しいもの。その状況において「◯秒後に報酬を獲得できます」という表示は、皮肉を込めながら「君は今、その構造の中に取り込まれているんだよ」と言っているかのように見えて、なんとも可笑しくなってしまう今日この頃です。

大須賀淳

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