「男系男子固執」に代表されるエセ保守属性の強い人物から共通して感じる事が多いのが、「自己愛に関する脆弱さ」です。
「自己愛の過剰じゃない?」と思われそうですが、後述の理由で、私は健全な自己愛の欠乏に起因すると考えています。
Xなどで、自分が関わっていないレスバトルなどを眺めていても、ステレオタイプなネトウヨ性質の者って「自分がバカにされた」という観点で激昂し出す者が、非常に多いんですね。
この状態に陥った者は「破綻した言説のサンプル」として利用する価値も無くなるので、直接関わった場合は放置しちゃいます(論題から外れた部分での、個人のくだらないプライドなどに全く興味ない)。
こうした事象を見るにつけ思うのは、彼らは自己愛が「弱い」から、反論・批判をすぐに「自己否定」として捉え、元々脆弱なバランスを完全崩落させてしまうんだと思います。
そして、天皇・皇室という極めて公な存在にまつわる議論のはずが、それが完全に二の次になり、どんどん言動・振る舞いがおかしくなって行く。
思い出したので追記。醜悪な実例↓
健全で良質な自己愛(自己および自己をとりまく世界への肯定感)は、精神の安定やバランス感覚の維持に欠かせません。
一方、自己肯定感が極端に低い人間は、部分的に偏在した自己愛を過活動させる事で(攻撃をもって防御とする形で)「バリア」を築こうとする事が多々あります。
グラグラな個のつっかえ棒として、形骸的な「愛国しぐさ」や「女性・女系天皇の違いを知ってる自分」というアイテムが用意されていて、それらを公、個、歴史観の土台にしてしまうから、脅かされそうになると半狂乱になって現実から遊離した言葉を撒き散らす。
でも、心配はいらないよ。今後さらに年老いる連れて迫ってくる「死」に対しても、君たちが大好きな血筋を持つと謳う人物の監修による、とっても由緒正しき前方後円墳に、パッケージとして用意された埴輪などの副葬品と共に、リーズナブルな価格で入れるという「エンディング商品」が用意されたものね。
それを支えに、生の浪費から目を逸らし続けると良い。
既に生きながらにして「魂」はどこかに漏れてしまっているのかもしれないけど、愛から遊離したドロドロの怨念は、空虚な造成物の中に埋め立ててしまおう。