「光る君へ」と読む「源氏物語」第18回
第十八帖<松風 まつかぜ>
「光る君へ」第31回は、まひろが一条天皇(塩野瑛久さん)について道長(柄本佑さん)から詳しく聞いて第一帖「桐壺」にあたる物語を描き、第32回は、物語を読んだ一条天皇が「朕への当てつけか」と道長に言いつつ「唐の教えや仏の教え、我が国の歴史をさり気なく取り入れておるところなど、書き手の博学ぶりは無双と思えた」とまひろに興味を示していました。
「桐壺」の帖には、桐壺帝の桐壺の更衣への寵愛を上達部たちが批判する箇所があります。
上達部、上人なども、あいなく目を側(そば)めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり」「唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」
上達部や殿上人なども、感心しないと横目に見つつ、「たいそうまばゆいばかりの帝の寵愛ぶりだ」「唐土にも、このような事が起きて、世が乱れて悪くなったのだ」
「唐土にも、このような事」とは「長恨歌(唐の詩人・白居易の長編詩 玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋の物語)」に描かれた「玄宗皇帝が楊貴妃に溺れ政務を怠ったこと」。一条天皇は定子(高畑充希さん)に溺れ政務を怠ったことを当てつけられたと思ったのでしょう。
第19回で一条天皇は、まひろと初対面した際に新楽府(しんがふ 白居易らが政治・社会を風諭した50篇の詩)を読んでいると見抜いていました。
「桐壺」の帖の「上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ」は、新楽府「上陽白髪人」(玄宗皇帝の後宮に入った途端、楊貴妃に睨まれて上陽宮という宮殿に閉じ込められて老いた白髪の女性の悲哀を憐れむ詩)の一句「已被楊妃遙側目 已に楊妃に遥かに目を側めらる(早くも遠くから楊貴妃に睨まれてしまった)」に依拠しているそう。
さらに8月28日放送のEテレ「歴史探偵 光る君へコラボスペシャル2 源氏物語」は塩野さんと柄本さんをゲストに迎えて「紫式部が実際に起きた宮中での権力争いを物語に取り入れた」一つの例として、一条天皇が、亡き定子の産んだ敦康親王ではなく、彰子の産む道長の孫を皇太子にするように、桐壺帝が、母・桐壺の更衣を失い皇位争いに敗れた光る君を臣下として、権力者・右大臣の孫にあたる皇子を皇太子とする「光る君の皇位継承問題」を取り上げていました。
一条天皇を誘う囮として彰子に仕え、藤式部と呼ばれるようになったまひろは、博学に加えて、身分の低い桐壺の更衣が特別に愛されたごとく、身分が低いのに物語を描くという特別な役目を与えられたことによる周囲との軋轢も、「源氏物語」に活かしてゆくのかもしれません。
今回は、光る君と関係を持った身分の低い女性が、どのように身を処してゆくのかみてみましょう。
第十八帖 <松風 まつかぜ
松の梢に吹く風 またはその寂しげな音>
二条の東の院を造らせた光る君は、西の対(寝殿の西側にある対屋・たいのや)に花散里を移しました。東の対には、明石の君を移そうと思っています。北の対は特に広くして、かりそめにでも関係を持って将来を約束した女性たちを集めて住まわせようと部屋を分けて造らせ、寝殿は、時おり光る君が東の院に行く時のために空けてあります。
光る君は明石へ絶えず文を送り、京へ上るように促します。明石の君は身分の高い女性たちであっても、別れるでもなく大切にするでもない光る君に物思いを募らせていると聞いて思い乱れますが、明石で生まれ育つ姫が人数にも入らないのは可哀そうで断れません。
明石の入道は、明石の尼君(入道の妻 明石の君の母)の祖父・中務の宮の邸が嵯峨の大堰川のそばにあるのを思い出し、急いで修理させて光る君に知らせます。光る君は出家を志して嵯峨の大覚寺の南に御堂を造らせていたので、大堰の邸の内装にも心を配るのでした。
光る君は密かに側近を明石に遣わします。明石の君は上京が逃れ難くなり、尼君は夫の入道と離れ離れになるのを心細く思います。入道は明石の姫をいつも抱いて袖から放したことがないほど可愛がっていたので、執着を戒める出家の身を忌々しく思いつつ「会えなくなったら、どう過ごしてゆけばよいのか」と涙を堪えることができません。
出発の日となり「あなた達は世を照らす光となるのが明らかなのですから、しばらくの間、私のような卑賎な者の心を乱すばかりのご縁はあったのでしょう。私の命が尽きたと聞いても法事などせず、避けられない親子の別れに心乱されないように。我が身が煙となる夕べまで、姫君のことを勤行の際に加えて、お祈りいたしましょう」と泣いて伝えた入道は、明石の君一行の船出を茫然と眺めるのでした。
船は順風で、明石の君一行は、予定通りに京へ入ります。大堰の邸は風流で明石の海を思わせ、所が変わったような気もしません。光る君は宴の用意をさせましたが、紫の上に大堰の邸に行く言い訳を考えているうちに、日が経ってしまいます。明石の君は物思いが続き、明石の家も恋しく、つれづれに光る君が形見に残した琴を掻き鳴らすと、松風がきまり悪いほど響き合うのでした。
光る君は心が落ち着かず「桂(渡月橋から上流は大堰川、下流を桂川と呼ぶ)に用があって、訪れる約束をした人も待っていて心苦しいのですよ。嵯峨の御堂にも飾りつけていない仏像があるので、二、三日はかかります」と紫の上に伝えます。
紫の上は「桂の院という所を急に造らせたそうだけれど、明石の君を住まわせるのだろう」と思うと気にくわず、「斧の柄が朽ちて替えるほど長い間お帰りにならないのでしょうね、待ち遠しいわ」と納得がいきません。
黄昏時になって大堰の邸に着いた光る君は、またとなく美しくまばゆいほどで、明石の君は胸が蓋がるような心の闇も晴れるようです。明石の君に逢って、しみじみとした気持ちが湧き上がった光る君は、今まで別れていた年月が悔しいほど愛嬌があり輝くように美しい明石の姫を誠に可愛らしいと思います。京から明石に遣わした明石の姫の乳母のことも光る君は労うのでした。
嵯峨に通うのが難しい光る君は二条の邸に移るよう伝えますが「まだ慣れておりませんので、今しばらく過ごしてから」と明石の君が応えるのも道理です。夜一夜、二人は愛し合い、行く末を誓い合って朝を迎えます。
大堰の邸から御堂へ行った光る君は、毎月の十四、五日と、月末などに行う仏事を決め、飾りつけや仏具などを申し付けて、月が明るく照らすなか、明石の君のもとへ帰ります。明石で別れた夜を光る君が思い出していると、明石の君は形見の琴を差し出しました。光る君が掻き鳴らすと弦の調子は変わっておらず、その時の想いが今のように感じられます。
契りしに かはらぬ琴の調べにて 絶えぬ心のほどは知りきや 光る君
約束した通りに 変わらぬ琴の調べで 絶えずあなたを想う私の心は 分かったでしょうか
変わらじと 契りしことを頼みにて 松のひびきに音を添へしかな 明石の君
心変わりしないという あなたの約束を頼みにして 松風の響きに琴の音を 私の泣き声を添えていました
光る君は、明石の君の美しく成熟した容貌や気配に心惹かれ、姫君からも目を離すことができません。翌日は京へ帰るので、二人が寝過ごしていたところ、桂の院に多くの人が集まり、大堰の邸の方にも殿上人がたくさん迎えにやってきます。光る君は隠れ家を見つけられて残念でしたが、迎えに来た人々と車で桂の院に向かい、宴が始まりました。
皆にお酒が回り、漢詩が作られ、月が華やかに昇る頃は管弦の遊びが始まり、和歌もたくさん詠まれました。千年も見聞きしていたい光る君の様子なので「斧の柄が朽ちて」しまうほど長く宴は続きそうでしたが、今日こそはと急いで二条の邸に帰ります。明石の君は、帰ってゆく騒ぎを遠くで聞きながら寂しく思い、光る君は文も出せなかったと気にかけています。
二条の邸に戻り嵯峨での出来事を語る光る君に、紫の上は心のわだかまりが解けません。「比べようもない相手を思い比べるのは悪いことですよ。自分は自分と思うようになさい」と諭した光る君は、明石の君から届いた文を開いて「これは、あなたが捨ててください。このようなものが人目に触れるのも、相応しくない歳になってしまいました」と言いますが、紫の上は見ようともしません。
そこで光る君が明石の姫の養育と、袴着(はかまぎ 幼児が初めて袴を着ける儀式 3歳で行う)での腰結(こしゆい 袴着や裳着の時、腰紐を結ぶ人 尊属や徳望のある人物が選ばれる)の役を頼むと「私が嫉妬していると、あなたは疑って分け隔てなさるのを無理に気づかない振りをして、打ち解けるものかと思っていましたのよ。幼い方とは私は気が合うに違いありませんわ。どんなに可愛らしいことでしょう」と紫の上は微笑みます。
明石の姫を養育する同意を紫の上から得ることはできましたが、嵯峨の御堂での念仏の機会に大堰の邸に行けるのは月に二度なので「どうしたらいいだろう。姫君を迎えにいってよいものか」と、光る君は思い悩むのでした。
***
光る君の夢の一つが実現しました。二条の東の院に女性を集め、いつでも気が向いたときに逢えるというのは、内大臣となって、気ままに出かけられなくなった光る君にとって煩わしさがない上に、後ろ楯のない女性たちにとっても有り難いことであったように思います。
二条の東の院を「かりそめにでも関係を持って将来を約束した女性たち」のために用意した様からは、宇治の「光る君へ 大河ドラマ展」において「光る君へ」の時代考証をされている倉本一宏さんの「道長は、自分のところに物を貯め込まず、本当によく贈り物をする人。そんなところにしなくても良いというところにまで、物を上げる人」といった音声解説が流れていたことも思い出しました。
二条の東の院に素直に移ってきた花散里。姉が桐壺帝の女御だったので、亡くなったと思しき花散里の父は大臣以上、光る君の世話を受ける様子は、後ろ楯も財も無くとも、大らかな育ちの良さが伺えます。
一方、ようやく大堰の邸に身を移した明石の君。光る君の周辺にいる女性たちのうち、紫の上は兵部卿宮の娘、花散里は大臣の娘、これから東の院に入ることになる末摘花も常陸宮の娘で、元受領の娘である明石の君は、気おくれしているのと同時に、光る君の娘を産み、亡き六条御息所を思わせる気位がさらに高くなり、易々と東の院に移らないのかもしれません。
「光る君へ」で、まひろは道長の子を産む前から妾になることを拒否する気位の高さを持っていました。石山寺の逢瀬の際も、光る君と同じく政権の頂きに立っている道長に「俺はまた振られたのか?」と言わしめるほど。身分の高い紫の上、花散里と、身分の低い明石の君という光る君にとって重要な三人の女性を、正妻の倫子、もう一人の妻である明子と、まひろに準えることもできそうです。
明石の入道が明石の姫を可愛がる様子は、「光る君へ」で為時(岸谷五朗さん)が賢子を慈しむ様子と通います。光る君も生母・桐壺の更衣や祖母の死後は宮中で育てられており、父の桐壺帝に慈しまれています。さらに光る君は紫の上を10歳の時に引き取って育てており、「源氏物語」に男性が子どもを慈しむ様子が描かれているのは、紫式部が女房として彰子に仕える際に、父の為時に賢子の養育を任せた経験が活かされているように見えます。
紫の上の元に帰りたいのに桂の院で宴を始めてしまう光る君には、娘・彰子を入内させた道長と同じく、梅壺の女御を後見して公卿たちを無下にできない事情と共に、男性にも女性にも愛されるスター性が感じられます。「千年も見聞きしていたい光る君の様子(千年も見聞かまほしき御ありさま)」と紫式部(藤式部)が書いた言葉は予言のようで、光る君はスターの役割を千年間、真摯に果たし続けてきた人とも言えるでしょう。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
二条の東の院に女性を集め、いつでも気が向いたときに逢う
…すごい話だなあとは思いますが、しかし、かりそめにでも関係を持って将来を約束した女性たちにまでも心を配るのだから憎めない、さすがは千年残る人物像だと思うしかありません。
次回もどうぞお楽しみに!