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大須賀淳
2024.8.30 14:45その他ニュース

災害と宿命、そして希望

台風&大雨に翻弄される日本列島。みなさんの所は大丈夫でしょうか?

 

今日は都内に用事があったので、居住している神奈川県央地域から小田急線に乗りましたが、伊勢原〜小田原間が盛土流出で不通になっている影響もあってか、普段だったら絶対に座れないような時間&場所でガラガラという状況に遭遇!

 

同時に、伊勢原市の国道246(こちらも、個人的に車で度々利用する経路)ではトンネル崩落まで発生し、神奈川県内の交通は大混乱です。実は、この近辺は8月上旬にけっこう大きめな地震の震源にもなったので、もしかするとそれによる地盤のダメージもあったのかもしれません。

 

幸運にも深刻な被害には遭っていなくとも、自分の生活圏に災害の足音が迫ると、「日本の国土」について色々な事を考えてしまいます。

 

今年は年初から能登半島地震という大災害に遭遇した日本。自然の豊かさ、恵み、優しさを享受すると同時に、裏腹であらゆる災害とも隣合わせで、その両面から「国柄」が形成されていると思います。これは単純なポジティブ、ネガティブの観念を超えた、日本に生きる民としての「宿命」と直結しています。

 

そうした環境であるからこそ、祭祀王である天皇を国の象徴として戴き、天皇陛下は国の公を体現される存在として(全ての自然そのものでもある)八百万の神に祈りを捧げられるという姿が、重要な意味を持ちます。

 

人は、完全なる絶望に遭遇したら、きっと祈る事さえも止めてしまうでしょう。

 

祈りとは、希望を追い求める事に他ならず、(単なる身体機能という意味を超えた)人間としての生命力そのものの具現化されたものと言えます。

 

国が希望と生命力を失っては、あらゆる政治もまともに機能せず、そもそもの意味を持ちません。天皇が「政治から切り離された存在」と考えるのは本来ナンセンスで、制度上の表記がどうあれ、本質的には「全ての政治の根本に在られる」のです。

 

政治家、特に全体を牽引するリーダー的なポジションの人には、狭い世間内でのおためごかしではなく、日本という国の希望の根幹たる存在としっかり対峙した天皇観、皇室観を持ってもらいたいと、切に、本当に切に願います。

大須賀淳

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