zakzak(産経新聞系のWebメディア)に、八木秀次による「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典のイスラエル排除問題、民主主義国家の結束乱すな 林官房長官は人ごとのような発言」という記事が掲載されました。
この中で八木は、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にイスラエルが招待されなかった事で、アメリカ他の西側各国が出席をボイコットした件について、長崎市の対応を「反ユダヤ主義」とまで呼んで激しく非難しています。
八木は
イスラエルをロシアと同列視すること自体が「反ユダヤ主義」なのだ。これは民主主義国家の普遍的価値に関わる。
イスラエルによるガザ地区への攻撃を「ジェノサイド(大量虐殺)」と批判する向きもあるが、ナチスのユダヤ人虐殺(ホロコースト)に使われる言葉であり、イスラエル批判に使ってはならない。
と実に奇妙な主張を展開。
なぜユダヤ人がホロコースト被害者である事が、多数の民間人死傷者が出ているガザ地区への攻撃を「虐殺と呼んではいけない」事の理由になるのか?
そして、それが「民主主義国家の普遍的価値」であるとはいったいどういう理屈?
この主張の根にある感覚は明確で「(親イスラエルである)アメリカのご機嫌を損ねるとは何事だ!」という対米従属ポチ根性でしか無いでしょう。
しかもこの件は、数十万人が暮らす都市のど真ん中を核攻撃して7万人以上を殺傷するという「人類史上最大規模の虐殺」で没した人々を慰霊する式典での事。
その「実行者」である米国が、大使の出席ボイコットという哀悼を放棄するような態度をとる事は、日本人なら不快感を抱く事はあっても、八木のように「民主主義国家の結束を乱す行為だ!」と騒ぐ感覚は1mmも理解できません(本当に、この人のどこが「保守」なの?)
先日とりあげた安倍元首相の演説でもそうでしたが、俗に保守派とされる一定層の間では、民主主義という言葉が対米従属と同義という滅茶苦茶な形で濫用されています。
それは「一君万民」「君民一体」という日本の国柄に全く沿わないばかりか、天皇陛下よりもアメリカを上位においた、極左と呼ぶのも生ぬるいような国体破壊の思想と言えるでしょう。
「民主主義の濫用」は、サヨク的な領域での弊害が目立ちますが、エセ保守が「民主主義」という言葉を使う場面には、さらに大きな害悪が混じっており、警戒が必要です。