「光る君へ」と読む「源氏物語」
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
7月2日、Eテレ番組「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」は「奈良時代のキャリア戦略! 二度即位した孝謙・称徳天皇」と題し、聖武天皇の御子のうち、中流貴族の県犬養(あがたいぬかい)氏出身の女性から産まれた安積親王ではなく、藤原氏出身の皇后・光明子から産まれた阿部内親王が、初の女性皇太子に上った経緯を地上波で全国放送しました。
皇位継承に関して、性別よりも、母親の地位が重要視されて皇太子になった阿部内親王は、女性皇太子に反対する人々を、以下の3つの要件で黙らせたとのこと。
① 将来、日本を統べるための教育として遣唐使を務めた吉備真備から儒教の経典「礼記」や歴史書「漢書」を学ぶ。
② 社会の秩序を定める「礼」と人の心に調和をもたらす「楽」で国を統治する儒教の「礼楽思想」を表した五節舞を、元正上皇を招いた特別な催しで完璧に舞う。
③ 則天武后(そくてんぶこう 唐の高宗の皇后 武周朝を立て武則天とも呼ばれる)が仏教の経典「大雲経」に「菩薩が女性の姿となって人々を導く」と書かれていることを根拠に女性が皇帝になることの正当性を示した例から、天皇が女性の姿をとることは方便(人々を正しく導く手段)と主張する。
「源氏物語」で光る君が身分の低い桐壺の更衣から産まれたために、臣下になったのは、安積親王が皇太子になれなかったのと同じ状況であり、母親の地位の高さ、すなわち母親の実家が上流貴族で、後見ができるかどうかが重要視されていたということ。「光る君へ」で亡き定子の産んだ敦康親王(あつやすしんのう)を彰子が母親代わりに育てているのは、東宮・皇太子になる可能性を残すために、有力な後見が必要だったからでしょう。
また、3つの要件からは、古代(奈良時代~平安時代)の日本が、唐(618-907年)の影響を多分に受けていることが伺えます。特に②の要件は、「紅葉賀」の帖で光る君と頭中将が青海波を舞って昇進できたのも、「光る君へ」第29回で、舞楽を舞った道長の二人の息子のうち、より上手く舞えた明子の産んだ巌君の舞の師に従五位下の位が授けられたのも、納得できるような気がしました。
今回は、唐物(からもの 舶来品)を身に付けていた皇族の女性が、後見を失った後に、どのように振る舞うかをみてみましょう。
第十五帖 <蓬生・よもぎう 蓬が生えて荒れ果てている邸>
光る君が須磨に隠遁している頃、紫の上などは生活の心配はなく、文を交わしたり衣を送ったりして心慰められていましたが、京からの別れも余所に聞いて、心を痛めている女性もたくさんいました。
末摘花が父・常陸宮の死後に心細い暮らしをしていたところ、光る君は生活の世話をしていましたが、須磨に隠遁した後は深く思っていない女性たちのことは忘れてしまっていました。心細い暮らしに慣れていた女房たちも、光る君のお陰で世間並の生活ができる年月があったので、かえって耐え難くなって、他所へ行ってしまったり、年老いた女房は命を失ったりして、末摘花の住む常陸宮邸は人が少なくなってゆきます。
元から荒れ果てていた邸は、狐の棲家のようになり、不気味な人気のない木立からは梟の声が朝夕に聞こえたり、木霊(こだま 樹木に宿る精霊)などの怪しいものが姿を現したりと、やりきれないことが数知れず起きるため、残った女房たちは風流な邸に目をつけた受領がいるので常陸宮邸を手放して、もう少しましな住まいに移るよう促します。
末摘花は「ああ、ひどい。世間の人はどう思うでしょう。私が生きている間に、父宮の形見を無くすことはできません。こんなにも恐ろしげに荒れ果てていても、親の御姿が留まっている心地のする家と思えば、慰められるのです」と泣いて、邸を手放すことなど思いもしないのでした。女房たちは故・常陸宮が作らせた古風な調度類も欲しがる人に譲るよう勧めるのですが、末摘花は許そうとしません。
末摘花のもとには、兄の禅師(ぜんじ 高徳な僧侶の尊称)の君が、まれに訪れるだけで、浅茅(あさじ 丈の低い茅・チガヤ 日当たりの良い場所に生える)が庭を覆いつくし、蓬は軒を争うほど高く伸びています。崩れがちな塀は、馬や牛が踏み慣らして道になり、春や夏になると庭で放し飼いをする牧童がいるのが目に余り、盗人も通り過ぎるほど。
八月の野分(のわき 嵐)で、廊(ろう 渡り廊下)は壊れてしまいましたが、寝殿は、掃除をする人もなく塵は積もっているものの見事な住まいで、末摘花は古びた厨子(ずし 両開き扉の付いた戸棚)を開けて『唐守(からもり)』、『藐姑射の刀自(はこやのとじ)』『かぐや姫の物語』などが絵に描いてあるものを見たり、古くなって毛羽だった紙にありふれた古い歌が書かれているものを広げたりして、無聊を慰めています。
末摘花の母方の叔母に、落ちぶれて受領の妻となっている人がいました。光る君が通っていた頃に、歌の代作をした侍従という女房は、この末摘花の叔母にも仕えています。落ちぶれて見下されていると思っている叔母は、末摘花を自分の娘たちの召使いにしようと自邸に招きますが、恥ずかしがりやの末摘花が応じようとしないので、腹を立てています。その頃、夫が大宰の大弐(だざいのだいに 大宰府の次官)となった叔母は、なおも誘いますが、末摘花は承知しようとしません。
そうこうしているうちに、光る君は京に戻ってきましたが、毎日が慌ただしく、末摘花のことを思い出さないままに月日が過ぎてゆきました。大弐の妻(末摘花の叔母)は、「それごらん」と任地に同行するように誘い、女房たちも「そうなさればいいのに。どうして意地を通そうとされるのかしら」と陰口を叩きます。侍従も大弐の甥と夫婦になり京に留まれそうにないので、同行を勧めますが、末摘花は、いまだに光る君のことを頼みにしているのでした。
去ってゆこうとする侍従に、末摘花は自分の髪を集めて鬘(かづら 髪が薄い部分を補うための添え髪 かもじとも言う)にした九尺(約2.7m)もある美しいものを箱に入れ、薫衣香(くのえこう 衣にたきしめる香)を添えて渡します。
十一月頃(新暦で12月頃)になると、雪や霰が蓬に積もり、出入りする下人(しもびと 召使い)もないので、末摘花は物思いに沈みます。光る君は末摘花を思い出すこともあるのですが、訪ねようとする気持ちも起きないままに、年が変わりました。
四月頃(新暦で5月頃)、光る君は花散里を思い出し、紫の上に断ってから出かけると、荒れ果てた家に木立が生い茂っているところを通りかかりました。大きな松に藤の花が咲きかかり、月影になよなよと揺れ、風に香る匂いがなつかしく、橘とは違った趣があると、車から顔を出して見ると、柳も枝垂れて、崩れた築地(ついじ 土をつき固めて作った塀)に被さっています。「見たことのある木立だな」と車を止めた光る君は、従者の惟光に常陸宮邸を訪ねさせ、末摘花が心変わりせずに暮らしていると知りました。光る君は、蓬の露を惟光に払わせながら庭を進み、末摘花のいる寝殿に入って、歌を詠みます。
藤波のうち過ぎがたく見えつるは 松こそ宿のしるしなりけれ 光る君
松にかかる藤波が通り過ぎがたく見えたのは 私を待つあなたの宿に見覚えがあったから
年を経て待つしるしなきわが宿を 花のたよりに過ぎぬばかりか 末摘花
長い年月 あなたを待つ甲斐もなかったわが宿を 藤の花を見るだけに立ち寄られたのですね
恥ずかしそうな末摘花の様子に気品を感じて、そういう点を取柄として忘れずに世話をしようとしていたのに、うっかりして訪れなかったのを薄情と思っていただろうと、光る君は気の毒に思います。
光る君は、常陸宮邸の蓬を払わせ、塀を修繕し、女房たちのことまで思いやって世話をするようになりました。二年ほどたって、末摘花は二条の東の院に移ります。光る君は、泊まることはないものの、東の院に行ったときは顔を見せたりして、末摘花を軽んじた扱いはしないのでした。
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「光る君へ」第23回で、薬師の周明(松下洸平さん)が挙げた宋の交易でもたらされる品物の最後に「貂(てん)の毛皮もある」と言っていたのは、第六帖で、痩せて寒そうな末摘花の着ていた「黒貂の皮衣(ふるきのかわごろも・かわぎぬ)」だなあと思いながら観ておりました。
もっとも読まれている「源氏物語」コミック「あさきゆめみし」には、末摘花の兄が「黒貂の皮衣」を取り上げてしまい、末摘花がもっと寒くなってしまうというコミカルな描写があるのですが、原文には見当たらないのでコミックのオリジナルエピソードのようです。
「光る君へ」第29回で、「竹取物語」に娘・賢子が興味を持ったのを機にまひろが物語を描き始めるのは、「『かぐや姫の物語』などが絵に描いてあるもの」を末摘花が見ているのを取り入れたようで面白いですね。第30回で燃やされてしまった「カササギ語り」は、彦星との逢瀬で織姫が天の川を越える際に乗るカササギという鳥から、まひろは発想を得ていたようです。
『唐守(からもり)』、『藐姑射の刀自(はこやのとじ)』は、今は読めない散逸した物語ですが、『かぐや姫の物語』は『竹取物語』として、1000年前と同じように楽しむことができ、現代では「よしりん御伽草子」の『かぐや姫』で目の覚めるようなメタモルフォーゼを遂げて、読者の心をさらに熱くしています。
『竹取物語』で、かぐや姫が5人の求婚者に求めた無理難題のうち、「唐土にある火鼠の皮衣」に、「黒貂の皮衣」を連想する方もいるようです。右大臣・阿部御主人(あべのみうし)は、唐土船の王慶(おうけい)宛てに「火鼠の皮衣を買ってきてください」と書いた手紙を、小野房守に託して唐に派遣します。筑紫に戻った小野房守は、馬で都に戻り、大枚をはたいてインドから取り寄せたという触れ込みの皮衣を阿部御主人に届けますが、かぐや姫の指示に従って火を着けてみると、燃えないはずの皮衣は、あっさりと焼失してしまいます。
「光る君へ」と読む「源氏物語」第六帖「末摘花」で「末摘花が、女房の侍従の代作を古びた紙に行の上下を揃えて書いたのは、父宮の遺した古い身の周りの品を大切にして古風な流儀を守っている、言い換えれば新しい紙を手に入れるほど経済に余裕がなく、世情にも疎いということ」と書きました。第六帖は、末摘花の振る舞いや容貌は、明らかに揶揄いの対象として描かれている印象でしたが、第十五帖「蓬生」は、同じ末摘花の人柄が、何故か崇高なものに感じられるのですが、如何でしょう?
『かぐや姫の物語』を見たり、「黒貂の皮衣」を着たりする末摘花が、光る君に忘れられていても、心変わりしないのは「父宮の遺した古い身の周りの品を大切にして古風な流儀を守っている」、皇族の女性としての品位を保とうとする人柄と親和性があるように思います。
その一方、受領の妻になった末摘花の叔母は「経済に余裕を持ち世情に通じている」。現代でいう知事の妻になるのは、それほど落ちぶれているという感じはしないのですが、見下されていると思い込み、末摘花を貶めようとする意図で筑紫に行くことを誘う心根の卑しさは、末摘花の品位の高さを際立たせています。
「竹取物語のかぐや姫」は、「火鼠」との名の付いた皮衣に火をつけて、その正体を暴きました。「よしりん御伽草子のかぐや姫」は、おじいさんとおばあさんをかばって矢に当たり、美しい姿が現れました。
蓬の生い茂る邸でひたすら待ち続けた末摘花は、ようやく訪れた光る君に、第六帖とは別人のような当意即妙の美しい歌を返します。
一人ではまともな歌が詠めなかった末摘花は、侍従が去ることで、かえって己の殻を破り、真の姿が現れたのでしょうか。最終フェイス・末摘花にとっての矢は、「失うこと」であったのかどうか、考えていただくのも一興かもしれません。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
末摘花が荒れ果てた邸に暮らしていても、それほど思っていなかった女性たちのことは忘れていた光る君、でも末摘花の心が変わっていないと知ると情をかける光る君、なんかひどいような気もするけれども、全く正直と言えば正直で、やっぱり『夫婦の絆』の記憶を失う前の一郎を連想してしまいますね。
『カササギ語り』を燃やされて、そしてついに次の物語の執筆が始められる…という回がオリンピック番組のせいで来週に回されてしまいましたので、その間にぜひ「『光る君へ』と読む『源氏物語』」、バックナンバーも読み返してみてください!