今日は、株価の暴落と急激な円高で大騒ぎになっていますね。
ただ、当時中〜高生だったとは言え、バブル絶頂〜崩壊期の記憶がしっかりある身としては、株価が「バブル後最高値」(しかし、景況の実感とは完全に遊離したまま)をつけた時から、「これはバブルで、はじけるタイミングが来るんだろうなー」と思っていたので、「来たか」と思うだけで驚きは全くありません。
どや!先見の明!えっへん!
…とは全く言えず、これはたまたま人生の中でそうした時期を経験した事だけを根拠にした、単純な「二度あることは三度ある」的感覚にすぎません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われますが、上段での私のドヤりは完全に愚者のそれであり、これをこじらせると「老害まっしぐら」となるのでしょう(ほんと…気をつけよう。クワバラクワバラ…)。
では「経験」と「歴史」はどこで分かれるのか?
それは「物事を個々のスポットではなく、過去〜現在から未来にまで続く〝流れ〟の中に置いて考えられるか」であると、私は考えています。
「経験」それそのものは物事の1サンプルでしか無いのと同様に、昔の出来事も「単に知っている」だけでは単なるウンチクで終わりです。
「歴史に学ぶ」の本当の意味は、過去の事象の暗記だけに留まる事ではなく(むしろ重要なのは)個々の物事から未来に向けた道をつなぐ(=「希望」を見出す)ために考え、そして行動を積み重ねる事でしょう。
それこそが、ニヒリズムを突破するための唯一の道筋であり「生きる事そのもの」とも言えます。
9/14(土)のオドレら正気か?LIVE「民主主義に希望があるのか?も、目的化した議論ではなく、参加した全ての人が各々の希望を見いだせるきっかけを生める場にしたいです!ぜひ、会場で同じ時を体感しましょう!